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続々と建つマンションに押し潰されそうになる

2/6のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


昨日の雪が残る中、今朝は雨が降っていました。妻が人間ドックだったので長女を保育園に送りがてら出発し、私は雪の影響で幼稚園が休園となった息子と次女を連れてお寺に行きました。


雪国ではない我々からすると、雪は珍しいのでテンションが上ります。息子もそれは同じらしく、歩道に残る雪を見ては踏み潰して遊んでいました。途中、雪で滑って転んでしまいましたが泣くことはなく、それをもむしろ楽しんでいました。


泣き虫だった息子の成長なのか、そんな泣き虫さを上回るほどのテンションだったのかは分かりませんが、とにかく雪の凄さを改めて知った今日の朝の出来事でございました。


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続々と建つマンションに押し潰されそうになる

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私の小さい頃に比べると、お寺の周りの光景は一変してきました。昔は小さな建物が多かったですが、気がつけばマンションに囲まれていて、墓地から見上げる空が狭くなったような気がします。


これは何も法善寺の周りだけの話ではなく、古かった建物が取り壊されると、大抵すぐにマンションが建てられていきます。恐らく画一的な建築方法が出来上がっているのでしょうか、着工から竣工までが恐ろしく早いので、気が付けばマンションの出来上がり、という感じです。


ただ、こんなに建てて住む人はいるんだろうかと、思ったりします。地方に比べたら一応まだ東京には人が流入していたり、みなさん核家族なのでマンションの戸数は必要だったり、そもそも投資目的のマンションだったり、様々な理由で今でもどんどん建てられているんだろうなぁと推察していますが、どれもこれも味気ない建物なのは間違いありません。


建築時も建築後も、あの手のマンションは人が住むことに特化した建物ですので、そこに機能美が生まれてきそうなものですが、残念ながらそれを感じることはありません。


機能美とは、とネットで検索すると『ムダを削ぎ落とした結果に生まれる美しさ』という回答が返ってきます。となると、ロビーやそこまでのアプローチにあるデザイン性を削ぎ落とせば機能美が生まれるのかもしれませんが、人は無機質なところにはあまり住みたがらないだろうし、そこの塩梅が難しいのかもしれません。そもそも機能美をマンション建築に求めるのも違う話なのかもしれません。


ただ、とは言え同じようなマンションが短いスパンでどんどん建っていくのには、少し恐怖を覚えます。まるで、見えないなにかに侵略されているんじゃないだろうかという気になり(実際はただただ多くの大人が動いて建てられているだけですが)、自分の部屋が少しずつ狭くなっていくような感覚に陥ります。


これは時代の流れなので仕方のないことなんでしょうが、ワクワクするような建物が建ってくれないかなぁと勝手な願望を持っていたり。そして、もしかしたら私と同じようなことを感じている人が、法善寺の建替えを見て、ワクワクしてくれたら最高だなぁと思っていたり。


まだ始まってない建替えを夢見ながら、相変わらずの日々を邁進してまいります。頭の中では出来上がっているお寺で、早くあれもこれも進めたいものです。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。そういえば寺院建築も、たしかに機能美ではないわな。



南無阿弥陀仏

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