​​法善寺について

龍飛山 法善寺は、慶長14年(西暦1609年)の創立より、400年以上の歴史を持つお寺です。東京都台東区という下町にあり、幾多の火災や震災などにも負けず、今日まで檀信徒の方々に支えられてきました。

東京メトロ銀座線の稲荷町駅から徒歩5分、もしくはJR上野駅入谷口から徒歩7分ですので、どなたでも気軽にお越し頂けます。

​​法善寺の僧侶

■住職(右)

昭和32年(1957)生まれ。大谷大学卒業後、実家である法善寺で僧侶として務める。

平成16年(2004)、法善寺の第20世住職となり、現在では大谷声明学園、東京本願寺学院の講師を務めている。

■副住職(左)

昭和62年(1987)生まれ。アメリカ・ネブラスカ大学カーニー校を卒業後、ITコンサルの会社に入社。そこから転職し、外資系スポーツメーカーにてマーケティングマネージャーを務める。

平成30年(2018)に退職し​、現在は本願寺学院にて仏教や浄土真宗について学ぶ日々を過ごす。

​​法善寺の歴史

 当山は寛永10年(1633)4月、三河国(現在の愛知県東部辺り)の人、浄賢法師によって創立されたことになっているが、それより先立つこと26年前の慶長14年(1609)8月に、浄賢法師の父・了賢法師が出府して、常福寺という寺院を建てている。徳川家康が江戸に幕府を開いてから5年後の出来事であった。当山の沿革を述べるにあたって、そのことから先に触れておく。

 「寛慶山浄福院 佐々木法善寺 由緒略記(文化元年(1804)当山第九世賢了記)」によれば、常福寺を開いた圓倫坊釈了賢律師は元俗人で、字多天皇第八の皇子、一品式部卿敦実親王十九代の後胤、従五位下、佐々木六角刑部少輔久綱三世の孫、野村越中守高勝の二男、次郎高就という人となっている。

 

 了賢が約35歳の時、慶長4年(1599年)11月2日、三河の国佐々木上宮寺(今も岡崎に現存)という寺の尊祐大徳の附弟となり、兼ねては、信浄院御門主(本願寺第十二世善知識教如上人・東本願寺を創立)のお弟子となっている。

現在(2019)の上宮寺外観

 その後10年を経て、慶長14年(1609)8月に東京の本願寺別院(現:浅草東本願寺)が、今の淡路町辺りから神田明神下へ移築されるとき、その公務役を務めていた受慶寺安養坊了善という人に招かれて、江戸へ出府された。その時、他に4ヶ寺も一緒に出府されている。これを5ヶ寺衆と称した。

 

 出府された了賢法師は、佐々木法善坊蓮願という高僧の遺跡を再興するということで、佐々木性を名乗り、寺号は寛慶山常福寺と称した。

 

 ところが、その後24年経った寛永10年(1633)1月9日に了賢法師は亡くなった(行年約70歳)。やはり三河の上宮寺にあって、勉学中であった了賢法師の嫡子浄賢法師は、父の入寂を聞いて直ちに江戸へ出府するつもりであったが、自分の先生である阿伯野村式部少輔高継の三回忌の法要を勤めるために出府が遅れ、約3ヶ月後の三月下旬に常福寺に着いてみると、その寺は父の弟子法西という人が横領しようとして、浄賢法師の入寺を拒んだ。

 そこで致し方なくご本山へ申し出をして、そのご裁量を願った結果、常福寺はお引上げということになり、横領しようとした法西もやむを得ず、別に一寺を建てた。その年の四月、浄賢法師には「法善寺」という寺号が仰せつけられ、ここに当寺が創立されたのである。おそらく前述の佐々木法善坊蓮願の名から取ったものと思われる。従って、御本尊はじめ当時より伝わる什物等の御裏(裏書き)は全て「上宮寺下(寺)常福寺門徒、武州豊鴫郡江戸神田法善寺什物」となっている。

 

 さて、その後明暦3年(1657)の大火(ふりそで火事)にて、本願寺別院と共に類焼を受け、神田より今の浅草の本願寺寺内へ移動することとなった。その後明和9年(1772)に一度火災に遭い、その30余年後の文化3年(1806)に3度目の火災を受けている。この時、いわゆる疎開という意味で、本願寺別院の約半数の寺が諸所へ移転することとなるが、当寺は今の地へ文化9年(1812)に添地(土地を添えるという意味)を拝領して移転した。昔は一度火災が起こると、防火設備なども貧弱なためか、広い範囲にわたって類焼した模様である。

 

 時代は下り、江戸時代の末期から明治の初期の間、短期間のうちに住職が3人亡くなっている。すなわち、元治元年(1864)に十二世賢寿が、慶応3年(1867)には十三世賢誠が、明治15年(1882)には十四世照賢が相次いで亡くなり、その後は無住のような状態になり、隣寺の真覚寺の住職を隠居された照方という人が当寺の十五世住職を継いでいる。そこへ養子に来られたのが、品川正徳寺の次男理賢で、その坊守里勢は向かいの寺、浄林寺の長女であった。

 

 事実上、すっかり廃退した当寺を中興されたのは、十六世理賢とその坊守里勢であった。

 

 大正12年(1923)には当山としては4度目の火災である関東大震災に類焼し、その後の復興にも並々ならないものがあったことは察するに余りある。昭和8年(1933)震災後の復興が成り、漸く寺院本来の活躍をなし始めた3年後の昭和11年(1936)5月5日、十六世理賢は念仏の声絶ゆると共に、大往生の素懐をとげられた。

法善寺第十六世 理賢師像

 しかし亡くなる少し前、関東大震災で亀有へ移転せられた隣寺の蓮光寺様跡を購入の契約をしてあったことは誠に有難いことで、今日この東上野の土地に広い境内を有する基はここに約されたのであった。

 

 十六世理賢は昭和の初め、特設墓地(現在の墓地の形式)を考案されて、墓地の郊外移転計画を砕き、祖先崇拝の我が国民の美風を後世に残されるなど、教化伝道の遺徳は大いなるものがあった。今、境内に見る理賢師像は、師が亡くなられた後、その遺徳を讃える数多くの方々のご寄進によって建てられたものである。今もその胸像の台石に寄進者の芳名が刻まれてある。

 理賢のあとを継いで、理々が十七世住職を継がれたが、理々は十八世住職季丸(すえまろ)の兄に当たる。2年ほど住職の籍にあって、すぐ弟の季丸に住職の座を譲られたが、理々はその後赤羽法善寺の住職を務め、真宗大谷派はもちろん、日本や世界の仏教界において大活躍されている。

 その後昭和20年(1945)3月、皆さまもご存知の第二次世界大戦のため強制疎開となり、当寺の建物は焼失した浅草観音、浅草寺の仮本堂として移築され、十八世住職季丸は浅草の本願寺別院へ勤務しながら当寺を守り続けてこられた。なお、その仮本堂は現在は淡島堂として浅草寺境内に移築されている。

浅草寺 淡島堂(法善寺の旧本堂)

 昭和二十三年(1948年)戦後のいまだ物資欠乏の折から、約十五坪の本堂を建てることが出来、同二十六年(1951年)には、拡張して仮御堂が出来上がった。

 戦後、我が国の復興に全国民が心血を注いている時に、どうにか寺院としての機能を果たせるまでに再興した当寺の陰には、十八世住職はじめ幾多檀信徒の数限りない御苦労があったが、それは枚挙にいとまないのでここに略させていただく。

 

 昭和42年(1967)2月19日、新本堂もほぼ出来上がり、本堂復興落慶法要を行った。その翌年、昭和43年(1868)には信檀徒や他の寺からの要望もあり、声明学園を開校することとなった。現在も続くこの学校(東京大谷声明学院)では、当寺からは現住職秀成が教鞭を振るっている。

 平成16年(2004)には秀成が法善寺二十世住職を襲職した。そして平成26年(2014)の親鸞聖人七百五十回御遠忌及び、法善寺開創四百年記念法要では、二十一世住職候補の龍之介が副住職を襲職する運びとなった。おかげで代々、拙いながらも無事に法善寺を維持されており、これも偏に阿弥陀如来のご加護と、お檀家の方々の篤いお志によるものである。

法善寺創立からの年表.jpg

法善寺創立からの年表

​​法善寺の沿革

慶長14年(1609)
 了賢法師が、現在の神田明神下あたりに法善寺の前身である常福寺を建立する。

寛永10年(1633)
 了賢法師が亡くなり、息子である浄賢法師が出府。寺号を法善寺と改める。

明暦3年(1657)
 大火(ふりそで火事)により、神田から今の浅草本願寺内へ移動する。

明和9年(1772)
 2度目の火災に遭う。

文化3年(1806)
 3度目の火災に遭う。

文化9年(1812)
 現在の土地に移転する。

大正12年(1923)
 関東大震災により4度目の火災に遭う。

昭和20年(1945)
 第二次世界大戦のため強制疎開。当寺の一部が浅草観音・浅草寺の仮本堂(現:淡島堂)として移築される。

昭和23年(1948)
 戦後の物資欠乏の折から、約15坪の本堂を建てる。

昭和26年(1951)
 本堂を拡張し、仮御堂が完成する。

昭和42年(1967)
 新本堂が出来上がり、本堂復興落慶法要を行う。

昭和43年(1968)
 檀信徒や他の寺からの要望により、声明作法を教える『東京大谷声明学園』を開校。

平成16年(2004)
 現住職の中山秀成が20世住職を襲職。

平成26年(2014)
 親鸞聖人750回御遠忌及び法善寺開創400年記念法要を厳修。

 21世 住職候補の中山龍之介が副住職を襲職。

昭和20年頃(1945)の法善寺外観

現在(2018)の法善寺外観

​​法善寺の紋

法善寺の紋は、抱き茗荷紋という種類に分類されます。ショウガ科の多年草であるミョウガの花を図案化したもので、日本十大紋の一つとされます。

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法善寺家紋

​浄土真宗東本願寺派

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