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祖父の33回忌法要

1/8のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は夕方頃、母方の祖父の33回忌の法要を執り行いました。私が導師を務め、母親・我々夫婦・姉、そしてそれぞれの子供たち、という参列者です。厳かに執り行いところでしたが、我々の子供たちからすれば、普段遊んでいる本堂で、パパが衣着ている、というだけなので、なんの緊張感もない法要になってしまいました。読経中も走り回るし、普通に話し声が聞こえるし、と集中することは出来ませんでしたが、ある意味祖父に我々の実情が伝わったのかもしれないな、と前向きに捉えております。


祖父は私が3歳の時に亡くなっておりますので、正直ほとんど記憶には残っていません。ただ、母や姉から話はたくさん聞いていますので、あたかも自分がそこにいたかのような記憶が作り上げられています。これもご縁かな、と頂かせていただきながら、今日の法要を勤めさせていただきました。


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33回忌が出来るってすごいこと

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普段は門徒さんの年忌法要で33回忌のお勤めをすることはありますが、身内の法要で33回忌をやったのは、ここ最近では初めてだったと思います。少なくとも、私がお寺に入ってからは初じゃないでしょうか。


そうか、32年前に亡くなったのか、という気持ちはありましたが、身内として捉えると、自分の親の33回忌の法要を勤められることって、そんなにしょっちゅうあるわけではない気がします。仮にですが、大体30歳で子供を産むとしたら、33回忌の法要を勤めるときには自分が親の年齢を超えていることになります。今は平均寿命が延びていますが、昔は子供を産む年齢だって今より若かったはずで、トータルで考えればちょいプラくらいかなと思います。


つまりは、親御さんを若くして亡くしていたり、自分自身が元気に長生きしている、のどちらかかが前提になってきます。何にせよ、自分の親を亡くしてから32年生きなければ33回忌は迎えられないわけで、大変長い時間経ったのちに成就した法要なんだな、と本日改めて気付かせていただけました。


私の父は63歳で亡くなりました。私は父が30歳の時の子供ですので、33回忌を迎えるころには65歳になっています。父の年齢を超えて33回忌を迎えるわけですが、その時にはどういう気持ちになっているでしょうか。子供たちはどんな生活を送っているんでしょうか。そもそも私は元気に過ごしているのでしょうか。32年間というのは、3歳の私が35歳になるような年月ですので、何が起こっても不思議ではありません。


これまで以上に、門徒さんの年忌法要は気持ちを込めてお勤めしなければ、と思わせてくれた、今日の祖父の33回忌法要でございました。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。父の33回忌を元気に迎えたいなぁ。



南無阿弥陀仏

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