top of page

浄土真宗所縁の場所を巡る旅を振り返る⑥

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


何だかあまり実感のないまま、ド年末に入ってきました。あと6回くらい寝るとお正月になります。年末年始は特に寒いみたいですので、出かける方はお気を付けください。法善寺では1月7日まで新年仕様にする予定ですので、無理に元日や三が日に捉われずに、ご都合の良い日にお越しいただけると幸いです。


とりあえずまだ風邪が少し残っている感じはしますので、万全の体調で新年を迎えられるように気を付けます。お医者さんからは山ほど薬をもらっていますので、それを律儀に飲んでいこうと思います。


==================================

浄土真宗所縁の場所を巡る旅を振り返る⑥

==================================


2年前の旅を振り返るシリーズも、今日で12日目となります。10泊11日の旅でしたので、振り返りが旅の長さてさを完全に超えました。一回のブログでの何となくの字数制限を自分の中で課しているため、このようなこととなりました。ご容赦ください。


さて、相変わらず注意書きは変わりません。あしからず。


今回のシリーズはあくまで『振り返り』ですので、いま旅に出ているわけではありません。私は東京にいます。また、実際に私が訪れた順番ではなくて、まとめるために関連性から順番を決めています。ご容赦ください。ちなみに写真は、全て私が(多分)撮影したものです。


今日は、浄土真宗にまつわるバラエティに富んだお寺や場所をご紹介します。


では、行きます。



『山寺薬師』(新潟県上越市)

~山の中にある薬師三尊~

山寺薬師(全景)

お堂へと続く階段

薬師三尊

山道(車で直接向かう道)


山寺薬師は上越市板倉区東山寺にあります。長い階段を登った先にある堂内には、薬師三尊(薬師如来・釈迦如来・阿弥陀如来)が安置されていて、解体修理の際に応永2年(1395)に、親鸞聖人の妻・恵信尼の親族である三善讃阿が寄進したものだと記す銘文が発見されています。


山寺薬師と呼ばれる通り、まさに山の中にお堂があり、その中に薬師三尊が祀られていました。最初、グーグルマップのナビ機能を使ったところ、山道を案内されました。ナビに従って進んでいると、切り返すことも出来ない狭い道になっていき、雪が降り横は崖、という状況で帰りはバックで戻るしかなく、命の危険を感じました。改めて調べると、その道は階段を使わずに山寺薬師に車で直接行く方法で、階段を使う正規ルートの場合は階段の手前に駐車場があり、あんな危険な目に遭う必要はありませんでした。みなさんも、もし行かれる場合は、どうぞお気を付けください。


ただそういった苦労があったからか、絶景なお寺を堪能することが出来ました。



『吉崎御坊跡』(福井県あわら市)

~8代目蓮如上人の布教拠点~

↑御旧跡の石碑

↑御堂

蓮如上人記念館


吉崎御坊(よしざきごぼう)は、文明3年(1471)7月下旬、比叡山延暦寺などの迫害を受けて京から逃れた本願寺第8世法主・蓮如(れんにょ)上人が、本願寺系浄土真宗の北陸における布教拠点として、越前吉崎にある北潟湖畔の吉崎山の頂に建立された坊舎です。この地で蓮如は教義を民衆にわかりやすく説き、時には御文を用いたり、『南無阿弥陀仏』の六字名号を下付したため、御坊には北陸はもとより奥羽からも多くの門徒が集ったそうです。また、御坊周辺の吉崎一帯は坊舎や門徒の宿坊などが立ち並び寺内町を形成していました。


永正3年(1506)、朝倉氏が加賀より越前に侵攻した加賀一向一揆勢を九頭竜川の戦いで退けた後、吉崎の坊舎を破却し、以後は廃坊となっています。


蓮如上人は、御文(お手紙)を使って布教をされた方で、当時荒廃していた本願寺を立て直し、浄土真宗における『中興の祖』と言われています。親鸞聖人の足跡ではないのですが、近くを通りましたので寄ってみました。吉崎御坊のすぐ近くには記念館があり、様々な資料が展示されていました。



『専光寺』(石川県金沢市)

~親鸞聖人直筆の廟窟偈を収蔵~

↑正門

↑本堂


石川県金沢市本町にある真宗大谷派の寺院です。大きな伽藍が目を奪いますが、戦国時代には一向一揆を指導する寺院として、北陸全体に大きな勢力を誇っていたそうです。現在も公称8,000という多くの門徒を有しています。


寺の創建は石川郡大糠(おおぬか)の地(金沢市南部の大額町)でしたが、後に石川郡吉藤(よしふじ 金沢市専光寺町)を本拠地とするようになりました。そして前田家が大名になると、慶長元年(1596)に2代目利長から現在の境内地を与えられて移転しています(前田家の目の届くところに置こうとしたとのこと)。


毎年7月に虫干しが行われて、親鸞聖人直筆の廟窟偈(びょうくつげ)や蓮如上人の『御叱りの御書(ごしょ)』等、多数の宝物が公開されています。


門徒さんがとても多いお寺ですので、私が伺った時も、法事が入っていたのかお坊さんが入れ替わり立ち替わりで、とても忙しそうにしていました。宝物を見られる時期ではありませんでしたので、また改めて行ってみたいと思います。



『こぶしの里』(新潟県上越市)

~親鸞聖人の妻・恵信尼所縁の場所~

↑寿塔

↑親鸞聖人像

ゑしんの里記念館


大正10年(1921)に本願寺の蔵で恵信尼様のお手紙が発見されてから、親鸞聖人の求道のお姿やその暮らしぶりが明らかになっていきました。そして昭和31年(1956)に五重七尺の石塔がこの場所で発見されて、これがお手紙の中に出てくる寿塔であると認められたことから、こちらが恵信尼様所縁の土地と言われるようになったそうです


この寿塔が、樹齢600年とも言われる『こぶし』の古株から見つかったため、『こぶしの里』と呼ばれています。すぐ隣には『ゑしんの里記念館』があり、この中に恵信尼様のお手紙のレプリカなどが展示されていました。



『青蓮院将軍塚』(京都市東山区)

~国宝・青不動を収蔵~

↑正門

↑『青不動』を収蔵する青龍殿

↑青龍殿・全景


平成26年(2014)10月、京都東山山頂に国宝・青不動をお祀りする建物として大護摩堂『青龍殿』は建立されました。青龍殿と併せて木造の大舞台も新築され、これにより東山山頂から、京都市内を足下に見おろし、大阪近郊まで一望できるようになりました。


この青蓮院将軍塚は、安養寺や青蓮院の裏にある東山の頂上にあります。当初行く予定はありませんでしたが、国宝の青不動が祀られているということで伺いました。ここの不動様以外に、高野山の赤不動・三井寺の黄不動もあり、『日本三不動画』と呼ばれているそうです。今回の旅で、偶然にも全ての不動様を目にすることが出来ました。



『嵯峨本願寺』(京都市右京区)

~本願寺派・宗祖親鸞の墓所~

↑外観

↑親鸞聖人像

↑様々な資料


京都市右京区にある通称『嵯峨本願寺』です。いわゆるお東騒動の際に、当時の法主の四男である大谷光道氏が大谷派から独立し、この地に本願寺を建てました。現在は『真宗東派』の本山となっています。


突然の訪問にも拘わらず、丁寧に本堂などをご案内していただきました。『法善寺の中山と申します』と名乗ると当寺のことをご存知で、お茶を出していただき、当寺の前住職や前々住職のお話をさせていただきました。ありがたいご縁となりました。



今日の中で一番印象深かったのは山寺薬師でしょうか。大変ですが、あの絶景を見るにはやっぱり冬に行くことをお勧めします。是非階段の方(正規ルート)からご参拝ください。裏ルートはマジで危険ですので。


本日の振り返りを以て、『浄土真宗所縁の場所を巡る旅』は終了となります。明日は『ちょっと寄り道』と題して、高野山と本能寺を振り返っていきます。明日が最終回です!お楽しみに。



南無阿弥陀仏

特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
bottom of page