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本当の気遣い

5/7のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日、車で稲荷町辺りを通ると、人だかりができていました。何だろうかと思っていたら、下谷神社のお祭りでした。そういえば今年は開催されるんだったと思いながら、やっぱりこういう景色は良いよなーと感慨深くなりました。コロナがあったので実に3年ぶりです。


思えばこの2年間で生活には大きな変化がありました。我が家の場合は子供が生まれたタイミングも被ったのでそれによる影響もあるかもしれませんが、夜で歩くことが極端に減り、外出するときはいつもマスクを着用し、無意識に人とは物理的に距離を取るようになりました。


今日の下谷神社のお祭りの景色は、そんなコロナに終わりを告げてくれそうな雰囲気を感じました。もちろんまだまだ感染者がいますので終わりになることはありませんが、新しい付き合い方にそろそろシフトしても良いんじゃないでしょうか。この夏こそは、せめて外ではマスクなしで過ごせますように。


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本当の気遣い ===========


生きているうえでは永遠の課題かもしれませんが、『気を遣う』というのは本当に難しいことです。気を遣った結果、相手に喜んでもらえないと意味がないわけですが、『気を遣ってるでしょ』という態度になってしまうこともしばしば。こちらの気遣いが相手に伝わらない、または相手を嫌な気分にさせてしまうことで、逆にこちらが怒り出すという逆転現象も起きたりします。


先日も、とあるところで紙コップに入ったお茶を出していただいたのですが、紙コップの受けとして下に紙が敷かれていました。別に紙コップなら受けはいらないのにな、気を遣ってくれたのかなと思った矢先、よく見るとその紙には『●●銀行』と書かれていました。つまりは、そこらへんにあるメモ用紙を受け紙として使っていた訳です。別にそれで今更、嫌な気分とかにはなりはしませんが、気を遣った結果、全く逆の効果を生んでしまいました。


これは自分自身が気を遣われた側なのでよく覚えていますが、こちらが気を遣う側の場合でも同じようなことが起きていると思います。私もその場では何も言わなかったように、私の気遣いが間違っていても何も言われないことのほうが圧倒的に多いはずです。


だからこそ、最近では余計に、叱っていただけることに感謝をしないといけないなと思います。お互いが黙っていれば波風立たずにやり過ごせるようなことでも、きちっと言っていただくことで気付きを得ることができます。年齢的にも、立場的にも、段々とそういうことを言われにくくなっていると思いますので、そういう機会があれば素直に受け止めて感謝の気持ちを持たなければいけません。


自分事でいえば、昔は主観的な気遣いが多かったように思います。『自分ならこれをやられたらうれしいな』とか『この場合はこれでしょ』みたいな短絡的な気遣いだった気がします。今もそれが改善されたかは分かりませんが、より相手目線で考えないといけないなーと思うようになりました。その場で喜んでいただくのが何よりとは言いませんが、人の思考回路は人の数だけありますので、お釈迦様の対機説法にちなんで、相手の身に立って気遣いをすることが大切です。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。言うは易く行うは難し、なんですけどね。



南無阿弥陀仏

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