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明日は父の満中陰

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


二日くらい前から肩が痛かったのですが、今朝起きたら更にひどくなっていたので、今日の午後にいつも通っているカイロに行ってきました。肩を少し動かしたりして診てもらった結果『四十肩』ということで、まだ33歳なのに何とも情けない限りです。


施術はいつも通りゴリゴリとやってもらいまして(痛いのは愛ということみたいです)、大分症状は良くなりました。ギックリ腰とかもすぐ治してくれるゴッドハンドで、法善寺は全員お世話になっています。田原町の掛川カイロ、おススメですので体の不調には是非。

 

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自分の順番、ということ

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さて、ついに明日が父の満中陰法要、つまりは納骨となります。前日という事で、妻や母が席を作ったり、私は本堂の様子をモニターで見られるようにカメラとプロジェクターを接続したり、色々と準備をしておりました。


本来であれば皆さん全員が本堂に入っていただき法要をするところですが、コロナ禍ということで密にならないように気を付けなければいけません。そのためお座敷に本堂の様子を映し出し、そこからお勤めに参加していただくというやり方をしています。

写真の通夜葬儀の時もそうでしたが、わざわざお越しいただいているのに、本堂ではなくお座敷でお勤めをさせてしまうこととなり、本当に申し訳ない気持ちです。ただ、そのような状況でもご理解いただき、同時に本当にありがたい気持ちでもあります。


今年を振り返ると、去年の今頃は2020年がこんな年になるなんて夢にも思っていませんでした。12~1月ころ、中国で新型コロナウイルスが流行し始めたというニュースを見ても、SARSの時の様な『対岸の火事』というのが最初の正直な印象です。それがあれよあれよと日本でも大流行してしまい、今や私たちの日常は変わってしまいました。


そんな中に父が病気となり入院し、まさか亡くなるとは思っていませんでしたが、それが現実となってしまいました。冒頭でも申し上げた通り私は今33歳ですが、父が父(私の祖父)を亡くしたのは58歳の時です。当然のように、それくらいまでは父も元気でいるだろうと思っていましたが、それは現実とはなりませんでした。


ご存知の通り、日本人の平均寿命は男女ともに80歳を超えています。身の回りに元気な高齢者がたくさんいますし(良い例は祖母)、自分自身もそれくらいまでは生きるんだろうなと勝手に思っていますが、あくまで『平均』の寿命ですので個人によって当然デコボコしているわけです。


私は今年父を亡くして、正直『何でこんな早い年齢で父親を亡くすことになったんだ』と運命を呪いたくなる気持ちもありましたが、そんな私よりもはるかに若い年齢で父親を亡くされた方だっていますし、もっと言えば自分が生まれる前に父親が亡くなっていて会ったことない方もいます。


これらの事実だって、父が亡くなる前から頭では分かっていたつもりですが自分事として起きたときにようやく心でも理解することが出来ました。自分ばっかりが不幸じゃないし、自分ばっかりが特別でもありません。あくまでこの広い世界の一つの歯車のように、生かされている命であるという事を身に染みて感じ取れました。今回の出来事は、広く言えば『自分にもその順番が来た』という事にすぎません。だからといって冷静に『はいそうですか』と慣れるほど悟れていませんので、やはり私は所詮凡夫です。


いつかは自分だって、父のように病気になり死んでいきます。その『いつか』がいつになるかは分かりませんが、だからこそこの頂いた命を精一杯悔いのないように生きなければいけないんじゃないかと思うようになりました。どんな人でも、何歳になろうが、どんなに足掻こうが、『はい、もうやり切りましたので、死んで大丈夫です』という人生は無いはずです。ただそれでも、少しは足掻いた人生にしていくために頑張っていきます。


まずは明日の父の満中陰、精一杯頑張ります。

 

 

南無阿弥陀仏

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