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出来ないからこそ見えてくるもの

1/10のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は浅草仏教会の税務委員のお仕事として、午前中に所得税の納税に行ってきました。一般企業だと毎月納めている源泉税ですが、10人以下の小さな企業に限り半期に一回の特別納付というやり方が許されています。ということで、第三部のお寺は全てこれに当てはまりますので、ガツっと特別納付してきました。


まだ終わりではありませんが、お金に関わる仕事ですので終わって一安心です。自分のお寺だけではなく、他のお寺の分も任されていますので、それなりに緊張感もあります。無事に済んで良かったです。ここからは、法定調書とか源泉徴収票を役所に提出したりとか、そんなお仕事を頑張っていきます。


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出来ないからこそ見えてくるもの

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正月明けから喉を潰してしまっておりましたが、ここ2日くらいでようやく回復してきました。まだまだ本調子ではありませんが、何とか勤めきれる、というくらいにはなりました。実は耳鼻咽頭科で、鼻からカメラを入れて声帯を見てもらったりするくらい心配していたのですが、回復して本当に良かったです。


そういえば思い返してみると、父がこうやって喉を潰したところを聞いたことがありません。食道がんで喉を切った直後はカスカスの声でしたが、そこまでも、そこから回復してからも、元気なハリのある声を出していました。ちなみに父の院号である『唯聲院』は、そんな唯一無二の父の声を意味するために付けました。


そんな血を受け継いでいるはずですが、あいにく私は父ほど丈夫ではありません。もしかしたら父はタバコを吸っていたのでそれで鍛えられていたのかもしれません。また、父のような大きな声を出すことも出来ません。一般的には大きな声を出せる方かもしれませんが、父のそれにはなかなか敵いません。


ただ、父の父である私の祖父は、そこまで大きな力強い声を出すタイプではありませんでした。私の記憶自体が晩年だったからということもあるかもしれませんが、パワーで押すのではなく、体を楽器として上手く使って音を響かせていました。大きな声の出ない私としては、目指すべきはこっちなのかなと思っています。


もしかしたら、私も父のように太く大きな声を出せていれば、祖父のような発声を目指していなかったかもしれません。スポーツの世界でもそうですが、才能がなかったり、出来ないことがあるからこそ、『じゃあどうするんだ』と考えるわけです。あの人のようには出来ない、でもだからといって負けたくない、じゃあどの道に進めば良いんだ、と悩むわけですが、その一歩一歩が血となり肉となり、長い目で見れば自分自身を支えてくれるはずです。


出来ないからこそ見える世界があるはずです。出来ないことを悔しがるのではなく、それによって違う景色を見せてもらっているんだと感謝できるくらい、余裕のある心持ちでいたいものです。難しいですが。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。今度祖父の音源を改めて聞いてみようかな。



南無阿弥陀仏

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