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お坊さんの本分・ブログの意義


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日も走ってきました。10kmです。昨日は雨、一昨日は声明学園のため走れなかったため、三日ぶりとなります。前半はめちゃくちゃ体が重くて、途中で帰ろうかとも思いましたが、そこから逆にペースを上げて折り返しを迎えるころにはいつもの感じで走ることが出来ました。逃げずに突っ込んでいった自分を褒めてあげたいと思います。


段々と暖かくなり、ランニングで着るものに困ってくるようになりました。走り出しは寒いのでついつい着てしまいますが、体が温まってくると暑くなります。途中で投げ捨てるわけにもいきませんので(週3で服捨てたら破産する)、我慢して最後まで着続けないといけません。それでもまあ、真夏に走るよりは全然マシです。いつまでこのペースで走り続けられるか分かりませんが、行けるところまで行きます。



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お坊さんの本分・ブログの意義  =========================


昨日のブログで阿弥陀経についてざっくりと解説させていただきましたが、自分にとっても勉強になる良い機会でした。やっぱり勉強は続けないといけないですね。分かったつもりが一番いけません。


また、いつもは内容があるのかどうか分からないブログばかり書いていますが、少しはお坊さんとしての本分を全うできたのではないでしょうか。


ただこう書いていても思いますが、お坊さんの本分ほど分かりにくいものは無い気がします。会社員だったら売り上げや利益を追求して、数字を伸ばすことが本分だと思いますが、お坊さんはそんなことはありません。大きいお寺の住職だから立派なお坊さんだとか、小さいお寺の役僧さんだから半人前だとか、そんなことは無いと思います。


また、声明が上手かったり、仏教に関する知識があったり、話が上手かったりしても、だからと言って立派なお坊さんかどうかは分かりません。もちろんこれらがあることに越したことはありませんが、絶対条件ではないと思います。


こういうことを考えていると、いつも思い出すことがあります。それは『ブラックジャックによろしく』という漫画に出て来るとある町医者です。うろ覚えで申し訳ないのですが、その町医者は確か主人公の同僚のお父さんで、よぼよぼのおじいさんです。その同僚は主人公と一緒に大学病院に勤めていて、小さな町医者をやっている父親をさげすんでいました。最先端の医療も出来ず、田舎の小さな病院でお年寄りを看るような毎日を過ごしている父親を恥ずかしく思っていたんですね。


ただ当の本人はそんなことは思っていなく、粛々と町医者としての役割を全うしていました。何か特別なことが出来るわけでもない、最先端の医療を提供できるわけでもありませんが、患者さんと寄り添っている姿に、最後にはその息子も心を打たれていました。


私はこの町医者の姿にお坊さんを重ねてしまいます。もちろん勉強したり鍛錬したりすることを否定しているわけではありませんし、むしろするべきだと思います。


ただ一番大事なのはお檀家さんに寄り添う事で、話を聞くことなんじゃないでしょうか。そこをないがしろにして、声明なり説法なりを押し付けるのはやっぱり違うのかなーというのが生意気ながらに持っている意見です。そのためにこのブログが話のきっかけになれば嬉しいですし、お檀家さんとのコミュニケーションを取ることがこのブログの最大の目的です。


まだまだ認知度は低いですが、段々と『ブログ読んでますよ』と言っていただける機会も増えました。引き続き頑張って、法善寺がお檀家さんの集まるお寺にしていきたいと思っています。そのためには自分自身の鍛錬も忘れずいきます。


万里の道も一歩からと言いますが、このブログがその一歩になっていると信じてまた明日もブログを書いていきます。引き続きよろしくお願いします。



南無阿弥陀仏

 

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