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精進とは


こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。

※始めに断っておきますが、写真と本文は関係ありません。閉塞感のある毎日に開放感をもたらしたくて、こんな写真を選んでみました。

 

さてさて、

 

今日は一日中どんよりとしたお天気でした。雨が降ったり止んだりしながら、晴れ間はほとんど見られませんでした。

 

実は、墓前でのお勤めの動画素材に不備があったので撮り直ししないといけなかったのですが、こんな天気でしたので叶いませんでした。明日も雨みたいなので、撮り直しがどんどん先延ばしになってしまいます。ここまで来たら、思いっきり晴れてる日に撮り直します。お待たせしておりますが、お楽しみに。

 

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■六波羅蜜『精進』

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さて、ひそかに続いている六波羅蜜シリーズ、今日は4つ目の『精進』について書いていこうと思います。

 

※過去記事はこちらよりご覧ください。

 

六波羅蜜の中でも『精進』はイメージが付く人が多いのではないでしょうか?

 

怒られたときとかに『精進します』という返事をしたりしますが、『努力する』とか『頑張る』とか、そういうイメージをお持ちだと思います。

 

元々の仏教における意味も、そこから遠く離れていません。少し難しい言葉を使えば『懈怠の心を対冶して、身心を精励して、他の五波羅蜜を修行する』ということみたいです。『懈怠の心』とは、ざっくり言えば『サボる気持ち』のことですので、『サボらずに心と体にムチ打って、布施・持戒・忍辱・禅定・智慧を修行する』ということになります。

 

ちなみに『精』は『混じり気の無い』という意味があるそうです。迷いながらではなく、一所懸命に突き進んでいくことが『精進』になるんですね。これはなかなか難しそうです。

 

また、精進と聞くと『精進料理』を思い浮かべる方も多いと思います。お坊さんが食べる、肉や魚を使わない料理を指しますが、語源としては『肉食は血を荒らし、心の平安を乱すとして禁止され、 そこから肉食を避けて菜食をすることを「精進」というようになった』そうです(コピペ)。

 

浄土真宗では肉食が禁止されているわけではありませんが、厳しいお寺では、午前中(お仏飯を下げるまで)は精進料理を召し上がっているところもあります。昨年の11月に本山・東本願寺の報恩講に出仕しましたが、そこで提供される朝ご飯も全て精進料理でした。こういう食事を別名『お清め』とか言ったりもします。

 

精進料理と言っても様々で、『ごはん・味噌汁・たくあん』みたいな質素なものではなく、『豆腐ハンバーグ』とかが出てきます。ヘルシーな上に満腹になります。もちろん美味しかったです。あれを味わえるのも、もしかしたらお坊さんの特権なのかもしれません。

 

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■『精進』のベクトル

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王貞治さんの名言に『努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない』という言葉があるそうです。とても厳しい言葉にも聞こえますが、これも『精進』を表した言葉なのかもしれません。

 

『努力するのも才能だ』とか言われたりしますが、努力はしていても、明らかに努力の方向性が間違っている人もいます。『いや、それを勉強する前にやることあるだろ』とか『それって、努力することが目的になってない?』と思うことが多々あります。とても勿体ないです。

 

5年くらい前に、仕事でとある地方の大学生2人組に会う機会がありました。どちらもバスケ好きの男の子で、前日くらいに急に電話が来て、働いていた会社のオフィスにやってきました。今考えると、何で会ったんでしょうか、理由が思い出せません(暇だったのか?)。

 

確か『地元の大学生向けにバスケの大会を立ち上げたい』みたいな話をしていたと思いますが、とあるタイミングで『いまぼくたちは、ヒッチハイクで日本全国を回っている』という話を押し出してきました。それだけなら聞き流せたのですが、それを言った時のドヤ顔がすごくて、おそらく本人たち的には『行動力あるでしょ、ぼくたち』と思っているのかもしれませんが、私はあまりピンときませんでした(一応大人の対応で『ほー、すごいね』と言いましたが)。

 

これが『日本全国を回って、各地のプロバスケチームのスタッフさんや、メーカーの人たちに会いに行きたいんですけど、お金が無いのでヒッチハイクしてます』だったら腑に落ちるのですが、『ヒッチハイクしてます』が全面に来てしまっていて、正に『それって、努力することが目的になってない?』と感じた瞬間でした。案の定、彼らが地元に戻ってからはほとんど連絡が取れなくなってしまいました。

 

なんか少し悪く書いてしまいましたが、彼らはヒッチハイクをするエネルギーは持ち合わせていたという事です。めちゃくちゃ勿体ないので、そのエネルギーのベクトルを少し変えてあげればとても良い方向に進んだんだと思います。

 

混じり気の無い気持ちで、一所懸命に突き進む、それこそが『精進』ということであれば、努力していること自体に酔っていてはダメだという事です。このブログだって惰性で書くのではなく、毎日学びを得ながらやらないと意味がありません。あくまで自分のために、これからも書き続けていきます。その結果、読んでくださる方の勉強や刺激に少しでもなれば幸いです。

 

とはいえ、皆さんの目に晒すことで頑張れておりますので、これからもよろしくお願いいたします。

 

 

南無阿弥陀仏

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