淡島堂は法善寺の旧本堂なのか?

6/8のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日も引き続き、法善寺の会報誌『家庭通信』の執筆をしておりました。なぜか作業が捗り、全て書き終え細かい部分のチェックも終わりました。ちなみに昨日も作業が捗りましたが、単純に開放感のある広めのお座敷で作業したからかもしれません。お寺の環境は有難い限りです。


ただまだ入稿はしていません。一晩おいて、フレッシュな脳と眼で見るとびっくりする間違いが出てきたりしますので、明日チェックして問題なければ入稿します。金曜日入稿の予定でしたが、2日巻けそうです。順調で何よりです。


ただ発送時期は来週末で変わりません。楽しみにしていただけると幸いです。


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淡島堂に行ってきました

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さて、今日は浅草に行ってきました。ユニクロの新店がオープンしたとのことで、夏用の服が欲しかったので行ってきました。浅草の伝統工芸品とコラボしたりしていて、結構見応えがありました。新しい地元の一面を見られました。


ユニクロから出た後、すぐ裏にある浅草寺に行ってきました。最初は特に予定していなかったのですが、浅草寺境内にある淡島堂を見たいと思って足を運びました。恥ずかしながら、昼間にこうやってきちんと拝見するのは初めてでした。

淡島堂は、東京大空襲で浅草寺の本堂が焼けてしまった際には仮本堂として使われていた建物です。本堂が建てられたタイミングで今の場所に移築されたものなのですが、実はその前は法善寺の本堂として使われていた建物でした。


ややこしいんですが、元々は法善寺の本堂だった建物が東京大空襲の戦災から逃れ、戦災に遭ってしまった浅草寺の仮本堂のために移築され、浅草寺の本堂がきちんと建築された後に淡島堂となって現在の場所に更に移築された、という流れです。


と、ここまでは父や祖父から聞いた話です。法善寺内では有名な話でみんな知っていますが、どっこいネットなどで調べても、公式にそういった情報は出て来ません。むしろ浅草寺のホームページには『元禄年間(1688~1704)、紀伊国(現在の和歌山県と三重県南部)加太の淡島明神を勧請して建てられた』と書かれていて、これだけ読むと仮本堂として使われる以前から浅草寺の境内にあったような印象を受けます。


恐らく公的な資料は残っていなくて、真相は誰も分からないんだと思います。この手の話はお寺界隈ではよく聞くもので、その度に『本当なのかな?』と思っていましたが、法善寺も変わりません。


ただ、祖父は東京大空襲時には15-6歳だったのである程度きちんとした記憶はあるはずですし、法善寺本堂の昔の写真を見ると淡島堂そっくりなので、私個人的にはこの話は本当なんじゃないかなと思っています。古い写真なので少し分かりにくいですが、屋根の中央正面の瓦の列数も22列で一緒です。瓦屋根に詳しくないので、列数に規定などがあれば話は変わってきますが。

東京大空襲の被害はすさまじかったらしく、上野から浅草が一望できたと言われています。そんな中、人々の希望の存在と成り得る浅草寺の本堂に、焼け残った法善寺の本堂が使われたと思うと、なかなか感慨深いです。今となってしまっては、それぞれどういう想いで移築が進められたのかは分かりません。そもそも本当に法善寺の本堂だったのかも分かりません。


色々言いましたが、別にクレームをつけたいわけでも、浅草寺に認めて欲しいわけでもありません。まあそりゃ認めてくれたら嬉しいですが、資料が残っていない以上話は間違いなく平行線ですので。


ただこういう風に、想像を膨らましていくのは楽しいですね。


信じるか信じないかは、あなた次第です。


南無阿弥陀仏

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