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本願寺学院2年目 後期レポート公開④


法善寺副住職の中山龍之介です。


最後の本願寺学院のレポート公開をさせていただきます。四日連続!と言いながら、なぜか間に挟みながら計六日間のお届けとなりました。


今日は木曜日の『三経七祖』のレポートで、テーマは『源空上人を「唯念仏一つ」と言わしめた背景』です。源空上人とは浄土宗の開祖で、法然房源空が正式なお名前です。親鸞聖人の師匠にあたる方です。


その法然上人は、なぜ「ただ念仏一つ」とおっしゃられたのか、どのような教えを頂いてそこまで行きついたのか、それをまとめました。


では、ご覧ください~。

 

源空上人を「唯念仏一つ」と言わしめた背景

本科二年 中山龍之介


法然房源空上人は、親鸞聖人の師である。浄土宗の開祖であり「称名念仏こそ浄土往生への唯一の道」という教えを説かれた。上人が念仏の道を説かれた背景を、上人の生涯と、著書である『選択本願念仏集(選択集)』からまとめた。


まず上人は、長承二年(1133)に生を受けた。父は漆間時国という地方豪族で、恵まれた家柄であった。しかし、九歳の時に父は夜討ちに遭い死別。「敵を恨むな、恨めばかたきは永遠に尽きない。早く俗世を離れて出家し、私の菩提を祈り、おまえ自身が迷いを捨てる道を求めよ」という遺言を残された。


その遺言に従い、叔父の観覚の元で学問を学び、十三歳で比叡山に入山された。十五歳で戒壇院の大乗戒を授けられ出家、そこから三年かけて天台宗の根本聖典である『三大部』六十巻を読破したと言われる。そういった逸話からも、上人の非凡な才覚が見て取れる。


十八歳で西塔黒谷の慈眼房叡空の門下となり、四十三歳までの約二十五年間を過ごした。この間に有名な話では、師・叡空との「観称優劣論」がある。観想念仏と称名念仏、どちらが優れているのかという問答であったが、観想念仏が優れていると答える師に対して、上人は称名念仏こそが優れていると答え、問答にも勝ったと伝えられている。


上人は比叡山で過ごす間に、法相宗・三論宗・華厳宗などの他宗の教えも学ばれた。様

々な教えを吸収した上人は、善導大師の著書である『観経四帖疏(観経疏)』に出遇われた。『観経疏』には凡夫が真実報土へ往生していく道が説かれており、何度も読む中で上人は「順彼仏願故」という言葉に出遇われ、称名念仏の道を歩むことを決意された。「順彼仏願故」とは、阿弥陀仏の願いに順ずるが故に、称名念仏こそが浄土に往生するための正定の業である、という意味である。


上人は比叡山を下り、東山の吉水にて念仏の教えを民衆へ広められた。文治二年(1186)には、「大原談義」と呼ばれる問答を行い、他宗を讃えながらも「私のような愚かで器の劣る者には、浄土門と念仏の一行だけである」と答えられた。これにより、法然上人の教えは民衆の中に広まっていった。また、念仏によって女人も往生することを説き、これも民衆の心を強く掴んだ。


そしてこの頃、法然上人の念仏の教えに帰依した九条兼実から、浄土の法門の重要な経文を書き記してほしいと懇願され、代表作となる『選択集』を著された。門下生も多く持ち、その中に親鸞聖人もいらっしゃった。


しかし、念仏の教えが広まるにつれ、阿弥陀仏に救われるから何をしても良い、と上人の教えを拡大解釈する門弟の放逸な振る舞いが目立つようになってくる。そして上人は、「元久の法難」、「承元の法難」と度重なる法難に遭い、流罪となってしまう。流罪となった先の土佐国でも、漁師や遊女などに「造悪無碍(悪を造っても浄土往生の障りではないこと)」の教えを説かれ、民衆を教化した。


承元元年(1207)の十二月に、藤原光親の願いにより上人は赦免となった。建暦元年(1211)の十一月に帰洛し、翌年の一月二十五日に八十歳で浄土に還られた。


上人の著作である『選択集』では、始まりの文で「南無阿弥陀仏、往生の業には念仏を先となす」と説かれている。これこそが上人の教えの根幹であり、称名念仏こそが浄土往生の正しい業であることを示している。


『選択集』の内容を見ていくと、教相章では、時機の問題でさとりを得られない聖道門は閣(さしお)きて、浄土門を選択すべき、という道綽禅師の教えが説かれている。時機の問題とは、釈尊がこの世を離れて長い時間が過ぎ(去聖遙遠)、仏法深くしてこれを理解する者が稀である(理深解微)ことを指す。


二行章では、善導大師の教えである、正雑二行を立てて得失を比べながら、雑行を抛(なげす)てて正行を選択すべき、と説かれている。この正行は、読誦・観察・礼拝・称名・讃嘆供養の五正行に分けられ、この中でも称名こそが仏願力に依った正業で、あとは助業であるとされた。我々衆生側が回向をする必要はなく、称名こそが自然に往生の業となる、という「不回向」が説かれた。つまり、廻向はあくまで如来側からのみ、ということを示された。また、凡愚の身である我々は、菩提心を頂くことも如来に依っており、「発菩提心無用(菩提心を発こす必要がない)」と示された。これについて親鸞聖人は『教行信証』で「自ら己が能を思量せよ」と著された。


本願章では、法蔵菩薩の四十八願に依り、唯念仏をもって往生の因となること、また難易義・勝劣義を示し、念仏一行こそが浄土往生のための易く勝れた行であると説かれた。

慇懃付属章では、上人の説かれた教えは上人自身の選択ではなく、阿弥陀仏・釈尊・諸仏の選択であると説かれた。


最後の総結三選の文では、速やかに出離生死を求めるものは、浄土門・正行・正業を選択すべきだと説き、これらは全て「仏の本願に依るがゆえ」と『選択集』を締め括った。


上人の教えは「偏依善導一師(偏に善導大師に依る)」と言われる。これは善導大師が、聖道ではなく浄土をもって宗とし、阿弥陀仏や浄土の有り様を目の当たりに感見する「三昧発得の人」だからである。


しかし善導大師の思想が形成される上で、それまでの諸師方も忘れてはならない。龍樹菩薩に依る不退転の道、天親菩薩に依る他力の宗旨、曇鸞大師に依る自力・他力の思想、そして道綽禅師による聖道・浄土の思想があり、これら全てが仏の本願に依っている。つまりは、上人の思想も全て仏の本願に依っていることを示している。

 

以上です!


いかがでしたでしょうか?浄土宗の考え方が浄土真宗の基礎となりますので、興味を持っていただけたら幸いです。


これにてレポート公開はすべて終了です!最後まで見ていただいた方、ありがとうございました。


出来るだけ分かりやすく書こうと意識しましたが、大丈夫でしたでしょうか?難しい言葉も出てきましたが、仏教の概念自体はそこまで難しいものではないと思っています。もし不明な点やご質問などありましたら、お寺に来ていただいたり、メールを送っていただいたり、LINEしていただければお答えさせていただきます。


最後になりますが改めて。

ありがとうございました!



南無阿弥陀仏

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