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『宗教を知ろう』中間レポート


こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。

 

気付けば今日は金曜日です。月の最終金曜日なので、華金(死語らしい)とかプレミアムフライデー(そもそも定着していない)という別名もありますが、私自身は変わらず大人しくしています。

 

しかし世間的には『緊急事態宣言が解除されて最初の金曜日』なので、少し騒がしくなっているところもあるみたいです。とあるネット記事によれば上野・アメ横もその場所の一つみたいです。何かあると怖いので、近寄らないように気を付けて過ごします。

 

ちなみに法善寺は3密対策などをばっちりした上で平常運転です。ご安心を。

 

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『宗教を知ろう』パネラー訪問(キリスト教偏)

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さて今日は、パネルディスカッション『宗教を知ろう』の打ち合わせで、プロテスタントの教会に行ってきました。そこの牧師さんにパネラーさんになっていただくお願いと、企画の趣旨なんかを説明させていただきました。

 

まだ他のパネラーさんが出揃っていないので公表できないのですが、キリスト教は今日の方に決定となりそうです。企画に賛同していただき、本当にありがたいです。見学の方ももちろんですが、パネラーさんたちにも喜んでいただけるような回にするのが目標です。

 

ちなみに今日伺った協会は結構規模の大きなところで、日曜礼拝には平常時であれば90人近くの方々が集まるそうです(今週末まではコロナの影響で動画を配信しています)。法善寺の報恩講や永代経なんかの年間行事では、そんな多くの人は集まりません。

 

それだけ多くの人が集まる理由をお伺いしたところ、『皆さん能動的に信仰することを選択しているから』という答えが返ってきました。これって一見普通のことのようですが、実際には信仰は世襲されていることがほとんどで、大変珍しいと思いました。

 

『信仰は世襲』と言ってしまいましたが、お寺の檀家制度なんかは『○○家の菩提寺は■■寺』というのが代々決まっていたりしますし、キリスト教でもカトリックは生まれたらすぐに洗礼を受けるそうなので、後天的に信仰を選ぶ機会というのは実際はあまりありません。

 

そんな中、今日伺った教会には、90人を超える方が自ら信仰を選択して通われています。どうやって信者さんを増やしたのかをお伺いしたら、『礼拝や説教をし続けた』と仰っていました。日曜礼拝を続けて、『日曜の朝に教会に行けばあの牧師さんに会える、礼拝に参加できる』という安心感を与え、その礼拝の中で行われる説教(聖書の意味を読み解いて聞かせること)を地道に続けて教えを説き続けた結果という事だそうです。

 

『説教』は、毎回の礼拝で30分ほど行うそうです。原稿を見させていただきましたが、相当な文字量です。あれを毎週考え抜いて作られていると思うと、その熱量はすさまじいものがあります。

 

やっぱり『継続は力なり』だし、『在り続けることによる安心感』も絶対あるんだなと感じました。少し昔で言えば、海外旅行から帰ってきてテレビを付けたら『笑っていいとも』がやっている、みたいな安心感です(例えが間違っている可能性大)。

 

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他宗教から学べること

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『宗教を知ろう』は宗教について詳しくない人に、少しでも宗教の本来の在り方をお伝えしようと始めた企画です(ド直球のネーミング通りの企画です)。しかし、すでにお気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、この企画で一番勉強してしまっているのは私自身です。ありがとうございます(?)。

 

あまりにも得してしまっている気がするので、学んだことを少しシェアさせていただきます。

 

面白いことに、宗教間で『説いていること』は違っても、『説き方』には共通点があったりします。また反対に、仏教ではあまり取り入れられていない方法だけど、イスラム教とかキリスト教では取り入れられていて、それって仏教にも使えるよね、という事もあります。

 

例えば、今日学んだ『在り続けることによる安心感』というのはお寺にも出せるものです。『ちょっと悩みごとがあるからお寺行ってみよう』とか『気分転換にお寺に行こう』とか、そういう場所になるには、むしろお寺の方が向いているかもしれません。

 

また、宗教と音楽には親和性があります。そもそもクラシック音楽はキリスト教から派生したものだそうです(中田敦彦のYouTube大学調べ)。

 

今日伺った教会には立派なパイプオルガンがありました。それを使って生演奏して賛美歌を歌ったりするそうですが、あの音色に乗せて歌えるのはとても気持ちよさそうです。

 

仏教で言えば、声明や雅楽がそれに当たります。声色や音色が美しく感じられることで、宗教としての力も備わって来るんですね。不思議な関係です。

 

近々、イスラム教の方、仏教の方とお会いする予定です。イスラム教ももちろんですが、仏教も今回は他宗派の方になりますので、また新たな発見がありそうで楽しみにしています。

 

引き続き、『宗教を知ろう』の中間レポートを楽しみにしてください。

 

 

南無阿弥陀仏

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