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800年以上紡がれてきた教え

11/5のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


報恩講の疲れが出たのか、昨日は早い時間に寝てしまいました。ブログはお休みしてしまいましたが、気は緩めていません。寝られたおかげで体調は順調ですし、ちょうどよかったかもしれません。


ここから年末に向けて、まだまだ色々とバタバタします。引き続き体調に気をつけてやっていきます。皆様もご自愛ください。


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800年以上紡がれてきた教え

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今日は、近所でもあり遠い親戚でもあるお寺さんの前坊守さんのお通夜に出席させていただきました。お寺さんの通夜葬儀ですと、お寺の方々が数多く出席されるのですが、その中でも今日は特に多かったように感じます。


そして、その大人数で正信偈を称えていくわけですが、当然のように皆さん暗誦されています。一応私も覚えているので一緒に暗誦しましたが(念仏和讃からは本を見ましたが)、これって凄いことだよなぁと改めて思いました。


いくら現代のベストセラー本でも、何万人の人がその本の一部を暗誦するなんてことはできないはずです。それと比較して良いのかわかりませんが、親鸞聖人が書かれた『教行信証』という書物の一部を、800年以上の時を経た現代の我々が暗誦しているというのが、いかに凄いことか。


もっと言えば、日本全国で数えれば恐らく何十万という数の人々が正信偈を暗誦できますし、僧侶にいたっては内容まで(ある程度は)理解されているはずです。これが当たり前のように考えてて感覚が麻痺ってますが、やっぱりとんでもないことです。


それだけ受け入れられ、親しまれ、紡がれてきた教えを現代の我々は頂いているわけで、これは途切れさせてはいけないよなぁと思います。法話の内容に困ることもありますが、こうやって振り返れば伝えるべきことだらけで、素材はいくらでも眠っているんです。


その一つ一つを掘り起こして、現代の我々に届くように語り伝えるのがお坊さんの仕事です。これこそが教化なわけで、色々やってますがそこのゴールは見失わずに行動していかねば、と再認識した今日のお通夜でございました。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。報恩講を機に、親鸞聖人の凄さを再認識しているここ最近です。



南無阿弥陀仏

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