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ブランドを纒うと気分が上がる

9/16のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は三連休の初日でした。三連休だろうがなんだろうがお寺が休みになることはありませんので個人的にはあまり関係なかったりするのですが、お彼岸直前ということで普段よりも多くの方々がお墓参りにいらしていた印象です。


受けるこちらも一応お彼岸モードになっておりまして、お渡しする施本はお彼岸のものですし、バスツアーの告知も地道にやっていきます。LINEやファクスでじわじわとお申し込みいただいておりますが、油断せずやり込んていこうと思います。


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ブランドを纒うと気分が上がる

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主にユニクロばかり着ている私ですが、そんな中でも(そんな中だから?)、たまにブランド名のあるものを身に纏うと気分が上がります。別に服としての機能は大差ありませんし、それどころか見た目だって殆ど変わらないくせに、やっぱりそれでも嬉しい気持ちになるんですね。


こういうブランド品を考える場合、役に立つ・立たない、という視点ではなく、意味がある・ない、という視点で考えるのが良いみたいです。


いまの世の中、基本的には役に立つものばかりで溢れています。普通の衣食(住)を求めるのならば、コンビニで十分事足ります。ご飯屋さんだって、まずい店に当たるほうが難しいくらいです。特にグルメでもない私にとっては、どこに入ったって美味しく感じられます。


そして、その『役に立つ』で目立とうとすると本当に難しいです。そして残念なことに、そこをあまりにも突き詰めると、結局は労力の無駄だったりします。日本の家電メーカーがかつて陥ってしまった落とし穴なのかもしれませんが、需要の遥か上のスペックを持ち合わせることによって、『もうこれ以上『良いもの』はいらないんだけど、、、』となってしまうわけです。


となると、『役に立つ』は大前提の上で、『意味がある』を備えていかなければいけません。そしてその『意味がある』こそが、ブランドになってくるわけです。


高いものを買ったという思い出、そのブランドが持つ歴史や背景、他にはない細かいディテール、そんな所を噛み締めながらブランドを身に纏うわけです。ここまで味わえれば、気分が上がらないわけがありません。


お寺に落とし込めば、役に立つお寺になれているのか。なれていたとして、そこで立ち止まってしまっていないか、意味のあるお寺になれているのか、というところを考えないといけません。


法善寺に来ると気分が上がる、特別な気持ちになる、というお寺を目指しながら、今回もお彼岸を迎えようと思います。あと3日、御朱印の書き込みがんばります。


本日もブログをお読みいただきありがとうございます。まずは自分自身が、意味のある人にならないと。



南無阿弥陀仏

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