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私は何故お寺を継いだのか?

11/28のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


お寺に入ってからというもの、特に初めてお会いする方から、『どうしてお寺を継ごうと思ったんですか?嫌になった時期は無いんですか?』と聞かれることがあります。


口頭ベースで聞かれるのであまり長い返答も出来ず、『小さい頃から、お寺には入るものだと思っていました』とか『嫌だった時期もありますが、父や祖父がやっていたので自然な流れで』とか答えていますが(これはこれで嘘じゃありません!)、改めて『何でお寺を継いだんだろうか?』というのを自問自答してみようかなと思います。


ということで、今日はそんなブログですが、宜しければ是非お付き合いください。今日はちょっと長めです。


============= お寺に生まれて

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『何でお寺を継いだんだろうか?』と考えたときに、真っ先に頭に浮かぶのは祖父のことです。


私は小さい頃から、幼稚園や小学校に行く前に、毎朝祖父と一緒に本堂でお勤めをしていました。気付いたらそういうリズムというか流れだったので、そこに特に疑問を持つことも無く、小学校3年生の夏休みには得度(ざっくり言うと頭丸めて僧籍を頂く儀式)をして、それからは永代経や報恩講などの大きな年間行事の際には出仕するようになりました。


中学、高校と上がるにつれ、部活やら何やらでお寺の年間行事にもあまり出仕しなくなったような記憶があります。本当に出仕しなかったのか、はたまた出仕することが当たり前すぎて記憶に残っていないのかは分かりませんが、このぐらいの時期、いわゆる思春期には、自分の家がお寺であること、そして自分の将来が何となく決まっていること、こういったことが嫌になっていました。ですので、お寺からは少し気持ちが離れてしまった時期でもあります。


そんな中で、高校卒業後はアメリカの大学に進学することを決めました。小さい頃から母親に『あなたは一生ここに住むことになるんだから、大学くらいは家から出て一人暮らししなさい』と言われていてそれをずっと真に受けていたのですが、まさか海外に行くとは思っていなかったらしく(京都を想定していたはず)、かなり驚かれました。あとから聞いた話ですが、この決断によって叔母は『龍ちゃんはお寺を継がないんだ』と思ったみたいです。それほど心配をかけてしまいました。


そんな心配をよそに私はアメリカに行き、大学卒業後は一般企業に就職しました。お寺には住まずに一人暮らしを始めたことで、いよいよお寺に戻ってこないんじゃないかと心配されていたと思いますが、私自身はこの頃にはすっかり『いつかはお寺を継ごう』と決めていました。就活の面接でも『いつか実家のお寺を継ぐので会社辞めますけど平気ですか?』と聞いていたほどです。

#すぐ落とされる魔法の呪文


大学卒業後にすぐにお寺に入らなかったのは、社会経験を積みたかったのと、自分がやりたい仕事をしてみたかったからです。短期間で転職をしたりして色々な方に迷惑をかけましたが、おかげさまでこのどちらの目的も達成できたかなと思います。


そんな一般企業で働いていた25歳のときに、父が食道がんを患いました。その頃私はお寺の手伝いなどは一切していませんでしたので、父の入院中は法善寺の僧侶は祖父一人になってしまいました。祖父はその頃84,5歳、一人で全ての法務をこなすのは体力的に厳しいという事で、毎週末私が法事を手伝うようになりました。祖父はあの頃、『法善寺最大の危機だ』と言って焦燥していたのを覚えています。

#心配性な祖父でした


幸い父の食道がんは早期発見でしたので、手術の後、数か月の入院で戻ってきました。ただ手術した箇所が箇所なので、声がすっかり擦れてしまい、退院直後はお勤めできるような状態ではありませんでした。ということで、私は引き続き毎週末法事の手伝いをしていました。父も法事に出て、発生して喉を元の状態に戻すために頑張っていました。今思い返すと、3人でお勤めできていたあの時期は、とても貴重な時間でした。


そんな時間も長くは続かず、私が27歳の年に祖父が亡くなりました。今度は、法善寺の僧侶が父一人になり、私も『お寺に戻るのはそろそろかもしれないな』と思うようになりました。その時には父がまさかこんな早く亡くなるとは思っていませんでしたが、祖父が亡くなったことによって、何かあってからでは遅いと思ったのも事実です。


そして3年後の30歳の年に、お寺に戻り今に至ります。


そんなこんな書きながら自分でも驚きましたが、この流れを追って見えてきたのは『アメリカでの留学を経験したことによって、お寺を継ぐ決断をした』ということです。就活の時には、お寺に入ることをしっかりと見据えていました。理由は明確ではありませんが、家族から離れたことで家族のことをより考えるようになり、ありがたみを知り、そんな家族の期待に応えたいという気持ちになったのかもしれません。


そんな中でも真っ先に頭に浮かんだのは、やはり祖父の姿でした。祖父は自分が僧侶であることにプライドと責任感を持っていて、とてもエネルギッシュに生きていたその姿から、『お坊さんって良い仕事なんだろうな』と思うことが出来ました。


そんな祖父だけじゃなく、祖母や叔母や父や母からもお寺を継ぐことを期待され、その期待に応えたいと私は自然に思うことが出来ました。嫌々継いでいないので、こういう気持ちでお寺を継がせてくれた家族、そしてそんな法善寺を支えてくださっているお檀家さんには本当に感謝しています。


私がお寺を継ぐまでをつらつらと書き進めてしまいましたが、結局『これだ!』という結論は出て来ませんでした。企業のプレゼンなら『で、何が言いたいの?』と喝を入れられるところです。長々とお付き合いいただいたのに申し訳ありません。


ただ、はっきりと言葉には出来なくても、私の気持ちの移り変わりがお伝えできていれば嬉しいです。私自身も、このブログを書いたことによってスッキリしました。


私には息子がいます。私が祖父と同じように、僧侶であることにプライドと責任感を持ちながら過ごしていくことで、今度は息子が自然と、お寺を継ぎたいなと思ってくれたらこれ以上のことはありません。お寺を継ぐ決断をするのが一つのきっかけに依らないと分かりましたので、毎日毎日の積み重ねだと思って改めて精進してまいります。



南無阿弥陀仏

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