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戦争を見て思うこと

3/10のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


ホテル療養を終えてから、バタバタとした毎日を過ごしております。忙しい時ほど、ひとつひとつ丁寧にやらなければと心掛けているつもりですが、なかなかそれが上手くできなかったりもします。


葬儀や年忌法要などは、こちらからすれば年に何回もあることかもしれませんが、向こうからすればとても特別なことです。先生と生徒の関係にも似ているのかもしれませんが、お一人お一人やっぱり気なんか抜いていられません。流れ作業のようにお経を読む坊さんにだけはなりたくないものです。


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戦争を見て思うこと

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連日、ウクライナとロシアの戦争がニュースを埋め尽くしています。あまり詳しくないので大それたことは言えませんが、ウクライナの民間人、特に子供が亡くなるニュースを聞くたびにとても心が痛みます。自分の身に置き換えた時に、子供を殺されて、果たしてプーチンに殺意を抱かずにいられるでしょうか。その後の人生、復讐のために生きてしまうかもしれません。それだけ恐ろしい憎しみの種が、ウクライナでは毎日のように植えられています。


法善寺としてもできる限りの支援をしたいなと思っているのですが、何をどうすれば良いのかがわからないのが現状です。ウクライナに募金をしても、それが戦争をするために使われるお金なら寄付したくありません。他の寄付先もそうで、こういった非常事態できちんとお金が正しく(こちらが望むように)使われるかはとても疑問です。


じゃあ、戦争が終わってから困っている方々のために寄付をしようかなと思っても、いつ終わるか分かりませんし、それまでに何人が犠牲になるのかも分かりません。状況が明らかになるまで指を咥えて待っていないといけないのかと思うと、いてもたってもいられないのですが、果たして今動くのが正解なのかがわからない、というジレンマに陥っています。


今回の戦争を見ていると、『人としてどうなんだ』とか『人として間違っている』という言葉の弱さを実感します。決して人として間違っていなくても突然命を落としてしまうかもしれないし、正しくないことをしていても面の皮さえ厚ければのうのうと生きていられる。こんな世の中認めたくありませんが、これが現実であると言うことも受け止めなければいけません。


こういう時、宗教者として何ができるのでしょうか。祈るのか、人としての正しさを説くのか。どれも弱々しくて自分自身が情けなくなってしまいます。かといって何もしないで良いわけではありませんので、こうやってめちゃくちゃ微力なブログで戦争反対を伝えているわけです。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。憎しみは憎しみを生む。分かりきっているけど繰り返してしまう人間は何て愚かなんでしょうか。



南無阿弥陀仏

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