新年一発目の声明学園
1/13のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
先日ついに我が家にもルンバ君がやってきました。自動で家中を掃除してくれるとのことで、大変ありがたい存在です。ただまだまだこちらのリテラシー不足で、充電コードを引っ張り込んじゃったり、お風呂に閉じ込められてたりしてしまっています。付き合い方をこちらも勉強中でございます。
基本的には家に誰もいない時間を狙って掃除してもらっているのですが、子供たちがいる時間に動かすと、2人とも楽しそうにルンバ君から逃げていて、それはそれで一つのアトラクションとして楽しんでいます。もちろんルンバにも届かないところがあるので完璧ではないのですが、こういった自動化は本当に助かります。中山家がアップロードされました。
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新年一発目の声明学園
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さて、昨日のブログで、新年一発目の書道教室について書きましたが、木曜日ということで声明学園の授業もあり、こちらも新年一発目でございました。ということで、1日遅れになりますが、こちらについても書かせていただきます。
私が所属する研修科は、昨年最後の授業までは漢音阿弥陀経をやっておりましたが、今年最初の授業からは二淘念仏和讃を勉強して参ります。念仏和讃の一番ベーシックな形は三淘だと思いますが、それよりも簡略化されたものが二淘となります。毎朝の晨朝法要で使われるものですが、みなさん我流でやっていたりして、意外と知識としては穴場な科目になります。
実は私は声明学園以前に、独立寺院連絡会の声明講習会でも何度か二淘の勉強はさせていただきました。音の上がり下がりの幅や、そもそもの節符の読み方なんかが三淘とは全然違うため、これまでは全く手応えがないというのが正直な感想です。ただ、何度か勉強させていただき、その中で講師の方の音を聞いてきたからか、昨日の授業ではかなり感覚を掴めた気がしました。
もちろんまだまだですし、じゃあ1人ではやってみろと言われたら音の迷子になること間違いありません。ただそれでも、習うより慣れろ的な感じで、あーこういうことかな?みたいなのは分かった気がします。声明は頭と耳で理解するものだとしたら、耳では少し理解し始めたということでしょうか。もちろん、他の人に教えられて一人前と捉えれば、きちんと頭でも理解しなければいけません。その領域にはまだ時間がかかりそうです。
とはいえ、自分でもビックリするくらい大きな進歩だったと思います。声明の新たな扉を、また開けられた気がします。1月中は二淘の授業となりますので、引き続き精進して参ります。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。喉の調子は、あと一息。
南無阿弥陀仏
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