頭の良さとは
11/16のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
11月も下半期に入ってきました。もう12月は目の前ですし、12月に入ったらあっという間に年末まで行ってしまうのは目に見えております。段々とお雑煮が楽しみになってくるのは良いのですが、無駄に時間だけが経過していく、みたいなことは無いように気を付けていきたいところです。
ちなみに今日は酉の市でした。家族で行こうかと思っていたのですが、子供の体調がすぐれず断念。三の酉が11/28日ですので、そのときには行けるといいのですが。
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頭の良さとは
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少し前に、なぜか10代の頃に先輩とやりとりした内容を思い出すことがありました。何がきっかけで思い出したのかを思い出せないのですが、端的に内容を言えば、私の知らないファッションのジャンルについて先輩が話しされていて、それに対して私が『そんなジャンル無いですよ』と返した、というものです。今考えると何とも愚かな反応ですし、その先輩はそれ以降もずっと私に優しくしてくれていたので、なんと素晴らしい人格だったんだろうか、と思い返していました。
あの人は頭が良い、あの人は頭が悪い、という線引きは誰しも使ったことがあると思います。前述の私の行為は間違いなく『頭の悪い』ものだったと思いますが、この判断基準というのは年齢によって変わってくるものだなと思いました。
小学生くらいの時は、勉強できる=頭が良い、だったと思います。学校の成績が良ければ頭が良く、逆に悪ければ頭が悪い、という基準です。ある意味分かりやすいのですが、これによって『俺は勉強できないから、頭悪いからダメなんだ』と、小さいうちに自分の限界を勝手に決めてしまうこともあります。
少し成長していくと、勉強できる人への嫉妬みたいなのもあったのかもしれませんが、勉強できるからといって頭が良いとは限らないよね、みたいなカウンターカルチャーが出てきます。この辺りでは、頭の回転が速い=頭が良い、と考えていた気がします。
大人になり、働き始めると、また違う判断基準が出てきます。言語化は難しいのですが、今の自分は、何事にも柔軟で、周りの考えや新しい情報を吸収して、最善策を見出せる人を頭が良い、と捉えている気がします。今なら、前述の私のように、知らないことがあるのにそれを真っ先に否定する、みたいなのは本当に頭が悪い行為だと思えます。
せっかくの学びの機会を拒絶してることになるし、それによって今後周りからそういった機会を提供されなくなる訳です。その時の謎のプライドなんかのために、損しか無い選択をしてしまっているので、愚かなこと極まりないです。と言いながらも、まだまだ今でも、その謎のプライドに邪魔をされてしまっていると感じることはあります。何歳になっても、誰からでも学び続ける姿勢を保ちたいところですが。
もっと時間が経てば、またこの判断基準は変わっていくのかもしれません。当時の私が、その行為を愚かだと気付いていなかったように、今の私が何気なくしている行為を、『頭の悪い行為だった』と思い返す日が来るのかもしれません。とは言え、今は今で今を必死に頑張るしか無いのですが。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。頭悪いって思われたくない、というプライドによって、頭悪いと思われるんですかね。
南無阿弥陀仏
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