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死を見つめて、生を見る

  • 執筆者の写真: Nakayama Ryunosuke
    Nakayama Ryunosuke
  • 1 日前
  • 読了時間: 3分

5/23-5/29の週ブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


10日ほど前でしょうか、愛用している折り畳み式のスマホ(普通のスマホとしても使えるけど、開いたら大画面でタブレットみたいに使えるやつ)の折り畳みするところにヒビが入ってしまいました。


割れたところから液晶が画面内に漏れて、画面が真っ黒になってしまいましたので修理業者を探すも混雑がすさまじく、ようやく予約できた日が昨日、ということで新宿まで行ってきました。こちらに過失はなかったので、無事に無償での修理で済みました。


直るまでの10日ほどはインナーディスプレイ無しで生活できていたので、もう無しでも良いかなぁとか思っていましたが、直った状態を見るとやっぱりインナーディスプレイは良いです。大画面で本を読めたり写真を見られたりするのは、正解です。


ということで、引き続き細心の注意を払いながら、Pixel 9 Pro Foldと付き合っていきます。


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死を見つめて、生を見る

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自分自身への戒めも込めてですが、私を含む現代人は『死』というものを現実として考えられていないんじゃないかと思うことが最近よくあります。


何度もやり直しの聞くテレビゲーム、登場人物が当たり前のように死んでいくドラマ、生き返ることが前提となった漫画、などの影響かもしれませんが、それが自分の身にいつか訪れるということを本当の意味で理解できていないんじゃないかと思います。


スキャンダルがあれば叩き、失敗した人は軽蔑する、という臭いものには蓋をする現代において、死はその究極なのかもしれません。今が良ければ良い、死んだら骨だけ、という風潮が蔓延っている気がして、時々とても怖くなります。


もちろん、今を楽しむことはとても大切です。ただ、今の自分に至るまでに頂いてきたご縁、そしてこれから自分自身が紡いでいくご縁があり、そこにはたくさんの人や命が関わっています。節目節目で大切にすべきことはあるはずですし、親の葬式すらきちんとしない世の中に、良い未来は訪れません。奇しくもAIの登場と共に、我々人間自身から感情が抜き取られてしまったかのようです。


ただまあ、こういうことをお坊さんが言ったところでポジショントークになってしまうことも事実です。それでも我々が言い続けないと他の誰かが言えることでもありません。葬儀を簡素に済ませようとするご門徒さんにも、きちんとお話をすれば、ほぼ皆さん出来る限りのことはやっていただけます。まだお話しすれば通じる内に、我々がきちんとお話ししていかないといけません。


かくいう私も僧侶という、人の死に多く触れる立場にいますが、本当の意味で理解しているかと言えば疑問です。ご門徒さんが亡くなっていく様を拝見させていただきながら、自分自身のこととして考えなければいけません。たしかに『死』を考えるのは怖いことですが、そこを見つめて漸く本当の意味で『生』を見つめることが出来るんじゃないでしょうか。


ブログをお読みいただきありがとうございます。死ぬときに『あれ、俺も死ぬのか』とは思いたくないな。



南無阿弥陀仏

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