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ありのままを受け入れる

8/21のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


久々にバスケをしてきましたが、怪我をしてしまいました。肋骨に相手の肘が入ってしまい、深呼吸したり笑ったりする度に痛みが走ります。怪我には十分注意しながら筋トレしたりしていましたが、こればっかりは不可抗力なのでどうしようも出来ませんでした。相手も全然わざとじゃないですし。


ということで、脇腹をアイシングしながらブログを書いております。安静にして、早く治ることを祈るのみです。


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ありのままを受け入れる

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最近また書道に凝り始めたからか、表現したいことに自分の技術や知識が追いついていなくてヤキモキしています。こんな線を引きたい、ここにスペースを置きたい、呼吸良く書きたい、と様々ですが、どれもこれも難しいものです。


書道だけでありませんが、自分がやりたいことをそのままやれることってほとんどありません。こんな格好したいなと思っても、お金がなくてそういう服を買うことが出来なかったり、時間がなくて服屋さんに行けなかったり、手に入れたら入れたで意外と派手すぎて着る勇気が出なかったり、季節が合わなくて着なかったらそのままタンスの肥やしになってしまったり、まあ理由は様々です。こんなご飯が食べたい、あんなところに行きたい、こうやって生きていきたい、と我々人は色々思うわけです。


ただ残念ながら、自分の現実が、自分の想像に追いつくことはほとんどありません。みんなその中で、割り切りながら、そして想像に追いつこうとしながら生きているわけです。また、仮に想像に追いついたとしても、そこからさらに次の世界が見えてしまって満足することは叶いません。美味しいものを食べても、もっと美味しいものを追い求めますし、良い部屋に住んでも、もっと良い部屋を追い求めるものです。まあ私レベルだからそう思うのかもしれませんが。


結局は自分でどこに線を引くか、ということなんじゃないでしょうか。書道なんかそれはわかりやすくて、締切で何がなんでも線を引かなくてはいけません。恐らく『今回は完璧な作品が書けた』という人は皆無で、みなさんどこかに妥協の心を持ちながら提出しているはずです。でもそれが自分の現在地ですので、そこは受け入れないといけません。


満足はできないかもしれませんが、今の自分を受け入れることで心に安穏が訪れます。その安穏がないと、焦りが生まれ、自分を否定してしまい、幸せからどんどんと遠のいてしまいます。ありのままの自分を受け入れるのは難しいことだったりしますが、そんなことを意識すると前向きに生きられるのかな、と思った今日この頃でした。


今日もブログをお読み頂きありがとうございました。たまに訪れる、服買いたい衝動に駆られている私です。



南無阿弥陀仏

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