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『智慧』とは


こんにちは。

法善寺副住職の中山龍之介です。

 

本日は久しぶりに髪を切りに行ってきました。コロナの影響で自粛していましたが、緊急事態宣言が解除されたことと、二か月半切っていなくて鬱陶しすぎたので、行ってきました。美容師さんにも『かなり伸びましたね』と驚かれながらも無事に終了。いやーすっきりしました。

 

気持ち新たにまた頑張ります。

 

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六波羅蜜『智慧』

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さて先日から続けておりました六波羅蜜シリーズですが、今日で最後の『智慧』を取り上げていきます。ちなみにあえて『知恵』ではなく『智慧』と書いているのは、仏教では『知恵』は『人間の知恵』、『智慧』は『仏の智慧』を指すからです。読み方は同じですが、漢字が違うだけでこういう意味になってきます。

 

さてさて、

 

『智慧』とは短く説明すれば、『真理を見極めること』です。例えば仏教には『諸行無常』『諸法無我』『涅槃寂静』『一切皆苦』という四法印、つまりは4つの真実が説かれますが、これらをきちんと見極めることも『智慧』の一つです。

 

四法印を簡単に言えば、『諸行無常』は何事も変化しうること、『諸法無我』は何事にも絶対的な自我は無いこと、『涅槃寂静』は悟りを得ることがこの上ない安らぎであること、そして『一切皆苦』はこの世の全ては苦であること、となります。言葉にするのは簡単ですが、普段の生活からこれらの真理を見極めることは簡単ではありません。

 

例えば、『この世は諸行無常だから命あるものは必ず死ぬし、形あるものは必ず壊れる』と分かってはいても、誰か近しい人が亡くなったり、大事なものが壊れてしまったりすれば悲しい気持ちになってしまいます。これはやっぱり、『諸行無常』という真理を十分に見極められていない証拠です。

 

反対に仏様は諸行無常を見極めながらも、ドライではなく慈悲に溢れているという矛盾を抱えています。しかしこれはあくまで私たち人間レベルで考えてのことで、仏様はこんな人智は超えた存在だからこそ、こういった矛盾も成り立つんですね。

 

前述の通り『智慧』とは『仏の智慧』ですので、私たち人間からすれば(特に浄土真宗では我々衆生は凡夫と考えますので)、到底辿り着けない境地の智慧になります。しかし有難いことに、お釈迦様が現世にお出ましになって、仏様の智慧を残していってくださいました。ですので私たちは、人間レベルでは到達できない智慧を、お経という形で頂くことが出来るんです。

 

ちなみに浄土真宗は『二尊教』とも呼ばれますが、これはお釈迦様と阿弥陀仏のお二人の教えを頂いているからです。親鸞聖人が著された和讃にも『釈迦彌陀は慈悲の父母』と説かれています。

 

また、お釈迦様は別名『教主』、阿弥陀仏は別名『救主』と呼ばれます。これは、現世に仏教を授けてくださったお釈迦様を教えの主、我々を必ず極楽浄土に往生させてくれる阿弥陀仏を救いの主としているからです。少し派生しますが、日本に仏教が広まるきっかけを作った聖徳太子のことは、『倭国の教主』と説かれています。これは、聖徳太子は日本におけるお釈迦様である、ということですね。

 

浄土真宗のお寺の本堂にも、必ずこの二尊がいらっしゃいます。阿弥陀仏は仏像として、そしてお釈迦様はお経として存在しています。お経とは元々お釈迦様が説かれたことをお弟子さんたちが遺したものになりますので、目には見えなくてもお釈迦様はお経に姿を変えて本堂にいらっしゃるんですね。

 

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六波羅蜜コンプリート

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これで六波羅蜜をコンプリートすることが出来ました。みなさんお疲れさまでした。お付き合いいただきありがとうございます。

 

改めてざっくりと六波羅蜜を説明すると、『布施』は施すこと、『持戒』は自らを律し戒めること、『忍辱』は耐えること、『精進』は努めること、『禅定』は自分を見つめること、『智慧』は真理を見極めること、です。これらを実践していくことが仏道を歩むことになります。

 

私も今回、改めてブログに書いたことで気付いたことがたくさんあり、勉強になりました。一つ一つ、出来ることから実践していこうと思います。

 

みなさんも是非一緒に仏道を歩んでいきましょう。

 

 

南無阿弥陀仏

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