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四苦八苦

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


日本のプロバスケリーグ、Bリーグが今週末から開幕しています。昨シーズンはコロナの影響で中断となってしまいましたが、今シーズンは時期的には通常通りの開幕となりました。お客さんの数などの制限はある中ですが、スポーツはやっぱり人に笑顔を与えますので開幕は嬉しいニュースです。


かたや海の向こうでは、NBAのファイナルが行われています。シーズンの最終盤ですので、こっちはこっちで注目しなければいけません。忙しくなってしまいますが、嬉しい悲鳴です。


早く自分もバスケしたいなーと思いながら、今日もブログを書き終えたら走ってこようと思います。今日は墨田区の方に攻め込みます。

 

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四苦八苦 ========


さて、今日は改めて四苦八苦について書いてみようと思います。以前にも書いた記憶がありますが、自分の人生のステージが変われば捉え方も変わってくると思いますので、とりあえず書いてみます。昔のを見返したわけではありませんので、全然同じことを書くかもしれません。そうなったらすみません。


四苦八苦は一般的にも使われる言葉ですが、元々は仏教用語らしいです。生(生きる苦しみ)・老(老いる苦しみ)・病(病にかかる苦しみ)・死(死ぬ苦しみ)の4つの苦に、愛別離苦(愛する人と別れる苦しみ)・怨憎会苦(憎い人に出会ってしまう苦しみ)・求不得苦(求めても手に入れられない苦しみ)・五蘊盛苦(自分自身が思い通りにならない苦しみ)という4つの苦を加えたものです。最初にこれを聞いたときには、それなは四苦四苦じゃないの?と思いましたが、そんな細かいことはスルーしていきます。


この他にも、仏教では一切皆苦(この世は全て苦)という言葉もあります。確かに自分の人生を思い返してみると、自分の思い通りになったことなどほとんどありません。常に周りに振り回され、たまに振り回しているつもりになったところで、結局は自分はこの世界と言う大きな流れの中で生かされているに他なりません。


ただ、もし私たちが何でも思い通りに出来る存在であれば、救いなど必要ありません。もっと言えば、宗教こそ必要ないはずです。しかし我々は、何一つ完璧には思い通りにできない凡夫です。そしてそうやって思い通りにならず苦しむ我々だからこそ、阿弥陀仏は救ってくださるとお誓いになったんだと思います。


阿弥陀仏と言う大きな大きな存在から見れば、人間などかわいい存在です。我々はその中で他人を下に見たり、妬んだり、嫉んだり、バカにしたりして、優劣をつけたがりますが、所詮は阿弥陀仏の掌の上です。むしろ、それぞれご縁によって結ばれた同時代に生きている仲間です。そう考えると、他の人にも優しくできる気がしますし、自分は決して一人ではないと思えるのではないでしょうか。


最近、よく著名人が自殺したというニュースが流れます。コロナの影響で閉塞感があったり、SNSによる誹謗中傷があったり、理由は様々かもしれませんが、周りの人は『生きていて欲しい』と願っているはずです。理想を言えば、自殺と言う概念すら無くなれば良いなと思います。


この世界は確かに苦で満ちています。でもそれは自分だけではありません。みんな苦に満ちた世界を一生懸命に生きていますし、同じ時代を生きているだけで仲間です。現に、会ったことはありませんが、竹内結子さんや三浦春馬さんのニュースで心にダメージを負っている自分がいます。難しいことは言えませんが、この頂いた命を精一杯生きる、これが命を頂いたものとしての義務なんじゃないでしょうか。


もしお悩みの方がいらっしゃいましたら、是非法善寺にお越しください。何か特別なことが出来るわけではありませんが、一緒にお茶でも飲みながらおしゃべりしましょう。

 

 

南無阿弥陀仏

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