人間は果たして進歩しているか
- Nakayama Ryunosuke

- 17 時間前
- 読了時間: 3分
11/7-11/13の週ブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
先週の木曜に怪しかった体調ですが、不安が的中し金曜日に爆発してしまいました。福岡への稽古にお伺いする予定を泣く泣くキャンセルし、一日休んだことで何とか法務が出来るくらいには回復しました。そして、今ではすっかり元通りです。
10月終わりから、葬儀の数も増えてきています。急に寒くなり、そして寒暖差が激しくなってきたことで体調を崩しやすくなっているのかもしれません。自分自身にも言い聞かせていますが、皆様もどうぞご自愛くださいませ。
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人間は果たして進歩しているか
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さて、先日のことになりますが、上野の国立博物館で開催されている運慶展に足を運んできました。12世紀生れの仏師(仏像の彫り師)ですので、親鸞聖人や法然上人と同時代を生きた方になります。
今回展示されていたのは、奈良・興福寺にある弥勒如来坐像、無著・世親(天親)菩薩立像、そして四天王立像の計7軀でした。ひとつの空間に大きな像が立ち並ぶ光景は、圧巻の一言でした。(ちなみに運慶展の場内は撮影禁止)
生で拝見すると本当に細かい造形に驚きますが、運慶がこれらの仏像を造られたきっかけは、興福寺の焼き討ちがあったからとのことです。興福寺復興のため、お弟子さんや息子さんたちと力を合わせて完成させたそうで、800年の時を超えて、今でも多くの方々を魅了しています。
それだけ長い期間、人々は宗教に対する信仰心を持ち続けてきたと考えると、とてつもないことだなと思います。その末端を担う者として、責任の大きさを改めて痛感した次第です。
一方、久々に今週は渋谷や原宿に行く機会があったのですが、街の変わりように驚きました。工事が多いのは仕方ないと思いますが、昔あったあんなお店が今度はこんなお店になっていたり、全くついていけません。
経済活動としては自然の道理なのかもしれませんが、その先に一体何があるんだろうかと憂いてしまいます。確かにあの街を歩けば物欲が刺激され、素敵で新しい服や靴が欲しくなってしまうでしょう。でもその欲には終わりがありません。
自分の中から湧き出てくる欲ならまだしも、明らかに外から植え付けられた欲によって、自分自身がどんどんと占有されていく感覚になります。景気が良いのは何よりですが、少欲知足とは真逆の世界観が、この現世の理なのかもしれません。
800年前と比べ、我々は進歩しているのでしょうか。文明的にはそりゃ進化しているでしょうが、果たして幸せになっているのでしょうか。
様々なものが発展していく中で、何かを置き去りにしてしまっているような気がしてなりません。運慶の仏像を見ながら、都会を歩きながら、そんなことを感じた今週の出来事でございました。
ブログをお読みいただきありがとうございます。何をもって足るを知るのか、決められるのは自分だけ。
南無阿弥陀仏
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