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言語学に触れてみて感じた事

8/19のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


ここ1週間くらい、バスケのワールドカップ開催に向けて強化試合が行われています。そのおかげで普段ほとんど見ない地上波テレビをつけていますが、そうなるとCMを見るのがとても新鮮です。今こんな人が出てるんだとか、今はこの企業が勢いあるのかなとか、色々な思いを巡らせながらCMを見ています。実際、私の知らない人もたくさんCMに出ていますので、世間から少し置いていかれてるんでしょう。


私が子供の頃に比べれば、メディアの在り方は多様化しました。新聞・テレビが王様だった時代はすでに終わり、ネット全盛と言われていますが、だからといって旧メディアを切り捨てることもできません。主要メディアが移った、というより、メディアが多様化した、という方が正しい気がしていて、法善寺でも情報を届けるためにあれやこれやと手段を講じています。


その一つ、法善寺の会報誌『家庭通信』は現在執筆中です。バスツアーのチラシと一緒に、今月中にはお届けしたいと思っていますので、しばしお待ちいただけると幸いです。


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言語学に触れてみて感じた事

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最近、言語学の本を読んでいます。子供達を寝かしつけた後、3人目が寝てくれている合間を縫っての読書なのでそこまで進んではいませんが、没頭欲を満たしながら楽しめています。


言語学の本を読みたいな、と思ったのは、言語が人の思考法にどんな影響を与えているか知りたかったからです。日本語を話す人、英語を話す人、中国語を話す人、それぞれ文化的、環境的、歴史的、その他諸々の背景から国民性だったり思想というのは形成されているはずですが、言語自体にもその役割があるはずで、そこら辺ってどうなっているんだろうなぁと興味がありました。


ただ残念ながら、今読んでいる本にその辺りの答えは書いてなさそうですが、言語学の基礎的なことを知る上で良い本かなと思いますので、読み切ろうとは思っています。


その本で改めて気が付いたのは、単一民族・単一言語・島国という日本の環境は、極めて特殊だということです。世界では、一つの国でも複数の民族が暮らしていて、様々な言語が話されているのが当たり前です。日本にも方言はありますが、そんなレベルではなく、言葉が全く通じない肌の色も見た目も違う人たちが一つの国の中にいる、というのが当たり前みたいです。


一応日本でも、大阪は東京をライバル視してるとか、浦和と大宮は仲が悪いとかありますが、世界ではそんなレベルではない歪み合いが一つの国で起こっていたりします。今の国からの独立運動があったりして、それによって内戦があったりするのを見ると、日本は本当に平和な国だなぁと思い知らされます。


この平和なのを逆にとり、平和ボケと言われたりもします。私個人としては、平和を求めているはずなのに、平和になったらなったで平和ボケと言われるのは、何だか変な感覚に襲われます。ただやはり世界を見てみると、現実は平和からは程遠いという事も分かります。平和じゃなくなる事に対する備えもしておかなければいけないのでしょう。


とにもかくにも、まだまだ表面しかさらっていませんが、言語学は面白そうです。日本語と英語の2言語で満足する事なく、また違う言語も学んでみたいなと思わせる本でもありました。ただ果たして、そこに挑戦する未来は来るのでしょうか。難しそうですが、そこに関しても没頭してみたい気持ちもありますね。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。世界は広い。



南無阿弥陀仏

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