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年回忌法要の意味

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


3連休も本日で終わりです。そういえば成人式だったんですね。今日は出掛ける用事があったのですが、電車では振り袖の方を何人か見かけました。新成人の方々、おめでとうございます。(取ってつけた感、、、すみません笑)


さてさて、今回の3連休もお寺では年回忌の法要が何件か入っておりました。年回忌とは、1周忌、3回忌、7回忌、、、という法要でございます。今日は改めて、その年回忌法要の意味について書こうと思います。


ちなみに浄土真宗の立場で書きます。お寺の宗派によっては変わってきますので、あしからず。。。



年回忌法要と言えば、亡くなった人の親族が集まって、お坊さんに自宅まで来てもらったり、もしくは自分たちがお寺に行ったりして、お坊さんにお経を読んでもらい、そしてお坊さんの小難しい話を聞く、こういう行事を想像する方が多いと思います。場合によってはみんなで食事を取ることもあります。


他宗では、年回忌の法要は『追善』の意味があることがほとんどです。お経を読むことで功徳を積み、それを故人に与える、というのが『善』を『追う』ので、追善ということになります。


しかし浄土真宗では、追善の意味を持ちません。人は亡くなると同時に阿弥陀様によって救われ、仏として極楽浄土に往生すると考えるため、仏様となった方には追善をする必要が無いからです。


では何故、年回忌法要をするのでしょうか。その理由は大きく分けると2つあります。


まず1つ目の理由は、故人を『追悼』することです。皆さん忙しい日々を過ごされる中で、故人の方を深く思い出す機会というのはなかなかありません。ですので、○回忌といったタイミングでみんなで集まることで、亡くなった方のことを改めて深く思い出し、追悼することが出来ます。


2つ目の理由は、その追悼を通じて、新たなご縁を頂くことです。核家族化が進む現代では、親戚が集まる機会というのはそれほど多くありません。そこで、年回忌の法要をして親戚が集まることで近況報告しあったり、故人のことを話して生前の言葉を思い出したり、お坊さんの話から何かしらの知識を得たり。これらは全て故人の方を通じて得られるご縁になります。


こぼれ話になりますが、法善寺では年回忌の法要の際、『表百(ひょうびゃく)』というものを読みます。これは、その法要の意義を仏様に申し伝えるものですが、その中で『(中略)・・・釋○○(個人の法名)の○回忌の法要を営み、有縁の人々相より集い、亡き人を偲びつつ・・・』というフレーズがあります。これは、もし参列者が施主様お一人の場合も必ず『有縁の人々』と読みます。『有縁の』とは読みません。何故なら、私達僧侶も故人の方からご縁を頂いてその場にいるからです。


主な年回忌は『満中陰忌(49日)、1周忌、3回忌、7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌、37回忌、50回忌、100回忌』というところです。


1周忌は亡くなって1年経った頃に行いますが、それ以外はマイナス1年した時期に行います。例えば3回忌なら、亡くなってから2年経った頃です。これは、亡くなった日を1回目の命日と数えるため、2年経ったということは3回目の命日を迎えるから、と考えるためです。(こんな言い方はしませんが、つまり1周忌は2回忌ということになります)


ちなみに、年回忌だからといって法要をしないといけない訳ではありません。諸事情によって難しい場合は、お墓参りだけして故人の方を追悼し、お寺の人と話したりして、新たなご縁を頂くのも良いと思います。


つらつらと書いてしまいましたが、わかり易りやすかったでしょうか?笑 ご意見などございましたら、是非お聞かせくださいませ。


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