念仏とは?
みなさん、こんにちは!
法善寺の副住職、中山龍之介です。
このブログ、週1回くらい更新したいなーと思っているのですが、気付いたら前回更新してから10日以上が経過してしまっていました。
楽しみにしていただいているたくさん(?)の方々、申し訳ございません!
さてさて、私は現在、東本願寺の本願寺学院というところで勉強をしております。そこで勉強していることを交えながら、今日はきちんとしたお話を!(笑)
ご存知の通り、浄土真宗では『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)』と称(とな)えます。
なまーんだぶ、なまだぶ、なんまんだぶ、etc...
省略されたりもしますが、要は『なむあみだぶつ』と言っています!
ではこの、『なむあみだぶつ』とはどういう意味なのか?
最初にお伝えしたいのは、南無阿弥陀仏は音に当てた漢字名ので、漢字自体に意味はありません。(南が無くて阿弥陀の仏?なんて考えていたら、ゴールは見えません。)
『なむあみだぶつ』は『なむ』と『あみだぶつ』に分けられます。
まず『なむ』というのはインドの古い言葉であるサンスクリット語(梵語)で『お願いします』や『頼みます』という意味です。
英語で言うと『Please』みたいな意味でしょうか?
そして『あみだぶつ』。こちらは仏様のお名前です。
『法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)』がお誓いを立てて阿弥陀仏になったのですが、そのお誓いがすごいんです。
四十八の誓願を立てたと言われていますが、その中でも第十八願(本願)を浄土真宗では大切にしています。
それがこちら!!
『設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法』
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分かりましたか?分かりませんよね?
はい、すみません、それでは、現代語訳、しましょう。
『わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国(浄土)に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗そしるものだけは除かれます。』
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要はですね、『念仏をすれば極楽浄土に行けるぞ!』という、素晴らしいお誓いなのです。
法蔵菩薩が悟りを開き、阿弥陀仏になったということは、このお誓いが成就した、ということなんですね。
このお誓いに救われるために、浄土真宗では『南無阿弥陀仏』と称えているんです。
プリーズ阿弥陀仏!と、まあそういうワケなんですね、はい。
ただし!ここだけ安易に切り取って『念仏すればいいのか、簡単じゃん!』と考えてもいけません。本願にもきちんと書いてありますが、『心から信じて』ということが、とても重要なのです。つまり『信心を持つ』ということです。
※五逆などについては、ここでは割愛させていただきます。
ただこの『信心』を手に入れるのはとても難しいです。
じゃあ信心が無いと南無阿弥陀仏と称えてはいけないのか?そういうことでもありません。
まずは手を合わせて、南無阿弥陀仏と称えていきましょう!これはとても簡単です。
・お風呂に入って、シャワーの温度が温かくなるのを待つ間。
・マンションのエレベーターのボタンを押して、到着するのを待つ間。
・個室トイレに入り、座って一息ついてから踏ん張るまでの間
・コンビニ弁当を電子レンジで暖めている間
・夜寝ようと布団に入り、心地の良い姿勢を探している間
こんなちょっとした時間があれば出来ちゃいます。
まずは念仏から始めてみましょう!信心はきっと、後から付いてきます。
ではでは、みなさんご一緒に。
南無阿弥陀仏
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