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女人往生の話

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。

本日は久しぶりに雨がほとんど降らない1日でした。青空というわけではないですが、それでも傘を持たずに歩けるのはやっぱり楽ですね笑

さて、本日の本願寺学院の授業はお茶会(茶話会)でした。火曜の真宗学では、学期の最初と最後の授業はお茶会になって、みんなでワイワイとお話しします。

そんなお茶会の中で、女人往生の話が出ました。蓮如上人の御文章でよく出てくるワードで『五障三従(ごしょうさんしょう)』という言葉がありますが、これは当時、女人は極楽浄土に往生できないと言われていた根拠となる障害を指します。

蓮如上人の御文では、このような女人でも阿弥陀仏の本願によって間違いなく救われる、と書かれています。

また、親鸞聖人の和讃の中にも、変成男子(へんじょうなんし)という『女人は男性に生まれ変わって救われる』という表現も出てきます。 

どちらも、女性は障りのある身だけれども救われるんだ、このようにおっしゃっています。

しかし、そもそもこのような表現をすることが現代にはそぐわないのではないか、五障三従や変成男子といった言葉が入っている御文章や和讃は読まない方がいいんじゃないか、という意見が出てきています。

これはとても繊細で微妙な問題です。文字通り、現代では思いっきり女性差別に当たる言葉です。五障三従なんて日常会話で使ってしまったら、大問題です。

しかしこの御文が書かれた時代背景を考えると、致し方ない部分もあります。むしろ『女性は救われない』という固定観念が広まっていたであろう時代において、『それでも救われる』と公言した親鸞聖人や蓮如上人には、女性差別の意識はなく、慈悲深さすら感じます。

私個人の意見としては、親鸞聖人や蓮如上人のお気持ちを尊重して、こういった表現を避ける必要はないかなと思っております。

ただこれも、私は男だからなのかもしれません。

もちろん差別は良くありません。現代を生きる我々としては、性別関係なく阿弥陀様に救われる、という考えを自然に持てれば、と思いました。

南無阿弥陀仏

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