煩悩とは何ぞや

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。

本日は葬儀がありまして、朝から八王子に行っておりました。ということで、お寺でのお朝事はお休みさせて頂きました。来られた方がいらっしゃいましたら、申し訳ございません。

さて、本日は煩悩について書こうと思います。煩悩は火に例えられることが多いので、こちらの写真を選ばせていただきました。

ご存知のとおり、108個あると言われてる煩悩ですので一つ一つ書いていたら、読んでいるみなさんも、そして書いている私も眠れなくなりますので笑、『煩悩とは何か』という全体像を、浄土真宗の観点から書いてみようと思います。

まず、なぜ煩悩は108個あるかご存知でしょうか?ひとつひとつ数えていったら108個になった、という訳ではなく、実はかんたんな掛け算で108個になっています。

詳しくは書きませんが、諸説ありまして、人間の感覚を表す六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)に三不同(好・平・悪)、その三不同を更に染と浄の2つに分け、それぞれ三世(過去・現在・未来)を掛けて、6×3×2×3 = 108とする説や、四苦八苦から4×9+8×9 = 108とする説などがあるそうです。

皆さんは『煩悩』と聞くと、どういう想像をされるでしょうか?

おそらく、『サボりたい』や『楽をしたい』という甘えた気持ちや、異性に対して持つ悶々とした感情を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。私も仏教を勉強する前は、ざっくりとそういう印象を持っていました。

もちろんこれらも煩悩であることに間違いはありません。昔のお坊さんは修行をすることで、これらの煩悩を断とうと精進されたわけです。しかし、浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、比叡山で大変厳しい修行に励まれましたが、ご自身では『煩悩を断てた』とは思えなかったそうです。親鸞聖人が修行を怠けていたわけではありません。その理由は、親鸞聖人は煩悩を、もっと深いところまで突き詰めたからです。

人は誰かに傷付けられると、その人に対して腹が立ちます。『罵声を浴びせてやろうか』、『殴ってやろうか』、はたまた『殺してやろうか』。心のどこかにこういった感情が生まれてしまいます。

また、人は誰かが成功しているのを見ると、『いつか痛い目を見ればいいのに』という感情が生まれてしまいます。

実際行動には移さなくても、もしくは表情にすら出さなくても、こういった気持ちをゼロにすることは出来ない、これこそが煩悩である、と親鸞聖人はそうお考えになりました。

つまりは、人間というのはこの体がある限り、煩悩を断つことは出来ないんだと気付き、そんな人でも救われる道を探されたのです。

煩悩をすべて断つと仏になる、というのが仏教の教えです。前述の通り、この肉体がある限り、つまり現世では仏にはなれないというのが浄土真宗の教えですが、仏のような人にはなる事ができます。心に湧く煩悩は仕方ないとしても、それを行動に移さない、表情に出さない、そうすることで仏のような人になることができるはずです。

こんなことを書きながらも、私は今日イライラすることがありまして行動に移し(殴ってはいませんが笑)、表情にも出してしまいました。。。仏のような人になるのも簡単なことではありません。精進しなければ。

みなさんも、仏のような人を目指して日々を過ごしていただければ何よりです。

南無阿弥陀仏

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