お経の解説シリーズ④ 観無量寿経

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


冒頭でいきなりNBAの話になりますが、今日の試合から八村塁選手が復帰しました。チーム内でコロナの感染者が増えてしまったことでチーム自体が長期間シーズンから離れていましたが、チームが復帰してからも八村選手はコロナのレギュレーションに引っかかってしまったため復帰できずにいました。そんな中で今日から復活。まだまだコンディションは良くないのかもしれませんが、さすがの安定感でした。


ただ個人的にそれよりも嬉しいニュースとしては、渡邊雄太選手がラプターズでぐんぐんプレイタイムを伸ばしているところです。今日の試合でも競った試合で終盤までガッツリ試合に出ていましたし、残り1分には1点差に詰め寄るレイアップを沈めていました。残念ながら負けてしまいましたが、この調子で活躍していけば本契約も間違いないと思います。現地のニュースでは『ワタナベをスターターにすべき』という意見もあるみたいで、そうなった日には感動もので泣いちゃいます。

#顔が似てるからより感情移入しちゃいます


結果も大事ですが、やっぱりそこに行くまでのプロセスで人は誰かのファンになります。この調子で頑張って欲しいです。



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お経の解説シリーズ④ 観無量寿経

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さて、時間が空いてしまいましたが、お経の解説シリーズをやっていきます。今日は『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』をエクストリームでお届けします。色々飛ばしていきますので、細かく知りたい方は現代語訳も出ておりますので、どうぞAmazonなりでお買い求めください。長いですが、結構面白いと思います。


まずこの『観無量寿経』ですが、日本に伝わってきたものは畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)という方が訳されたものになります。サンスクリット語の原典があると言われていますが、今日に至るまで未だに見つかっていません。一説によれば原典は存在せず、中国で作られたお経とも言われています。

#この辺りが仏教のミステリーで面白い所です

#インチキとか言わないで


冒頭は『王舎城の悲劇』と呼ばれる事件から始まります。これは、昔インドにあったマガダ国という国が舞台の物語です。


釈尊の従兄弟であり弟子でもある提婆達多(だいばだった)という人が、マガダ国の皇太子である阿闍世(あじゃせ)をそそのかし、その阿闍世が王位を父の頻婆娑羅(びんばしゃら)王から奪い取るために、その父を餓死させようと投獄してしまいます。阿闍世の母であり王女の韋提希夫人(いだいけぶにん)は、頻婆娑羅王を助けようと隠れて食べ物を持っていこうとしますがバレてしまい、自らも投獄されてしまいます。


韋提希は大変ショックを受け、自分の欲望のままに我が親をも殺そうとする、この忌々しい娑婆世界に嫌気がさし、極楽世界に生まれ変わりたいと願って、その世界を見る方法を釈尊に請います。聞こえるはずの無い獄中からの請いでしたが、釈尊はそれに応え韋提希に話をしていきます。


そこで説かれたのが、『十六観』と呼ばれる阿弥陀仏や極楽浄土を見る16種の方法です。西に沈む太陽を思い浮かべたり(現代のお彼岸の起源の一つ)、極楽浄土を思い浮かべたり、阿弥陀仏自身を思い浮かべたり、と様々な方法が説かれます。後の時代に、中国の善導大師はこの十六観を13の定善(集中しないと出来ない方法)と3つの散善(日々の行いの中でも出来る方法)に分けられました。


日本の浄土思想は善導大師の流れを多分に汲んでいますので、特にこの散善が重要とされています。この散善は更に、その人その人の能力によって様々な方法が説かれています。能力によって人を上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)に分けており、更にそれぞれで上生・中生・下生に分けています。3×3で、これをひっくるめて『九品九生(くほんくしょう)』と呼びます。


この『上品とはこういう人を指しますよ~~~』とか『下品はこういう人なんですよ~~』という解釈ですが、善導大師は表に書かれた意味通りではなく、上品は大乗仏教に縁のあった凡夫、中生は小乗仏教(上座部仏教)に縁のあった凡夫、下生は世間の悪に縁のあった凡夫、と読み解きました。つまりは『全員凡夫である』と解釈し、そんな凡夫である我々が救われる方法が何なのか、ということを探していきます。


そこで見出されたのが『称名念仏』、つまりは声に出して阿弥陀仏を念じるという方法です(南無阿弥陀仏)。十六観の定善の最初の方に出て来る方法は『観想念仏』と言って阿弥陀仏を思い浮かべる念仏方法ですが、称名念仏はそれよりもはるかに簡単にできる方法となります。誰でも出来る方法だからこそ、我々凡夫でも救われるんだよ、ということが説かれているわけですね。


表の意味だけでなく、裏の意味を読み解くことで、善導大師は『称名念仏こそ万人が救われる方法である』と見出されたわけですね。この『観無量寿経』の穏顕(おんけん)を読み取るのが、とても重要です。


ちなみにさらっと出て来ましたが、提婆達多は釈尊の教団を乗っ取ろうとする反逆者的な存在として良くお経の中に登場します。すごい悪者なわけですが、樹木希林さんの本の中で『誰もが誰かの提婆達多』と説かれていました。つまりは、誰もが誰かにおいては悪者であり、恨まれている存在であるという事でしょう。縁起によって結ばれた世界の面白い捉え方だなと思いました。


かなりざっくりとした説明になりましたが、以上が『観無量寿経』の解説でした。浄土三部経の中でも一番物語チックに描かれていますので、普通に読み物として読んでも面白いかもしれません。


次回は阿弥陀経です。浄土三部経の中でも一番頻繁に読まれるお経です。引き続きお楽しみに。



南無阿弥陀仏

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