宗教の二面性
こんばんは。
法善寺副住職の中山龍之介です。
本日は久しぶりにバスケをしました!
コービーの事故死から初めてのバスケ。未だに受け入れられていませんが、背番号8番時代のTシャツ、最後のオールスターのユニフォーム、黄色いヘッドバンドを持っていってバスケしました。練習の途中、チーム分けのためにビブスを着たのですが、それもたまたま8番。スキルやフィジカルは到底及びませんが、今の自分の100%を出すつもりで頑張ってきました。いやー、久しぶりだからかとても疲れて、まだクラクラしております。
さて、本日は宗教の二面性について話をしてみたいと思います。ちょっと突っ込んだ話になりますし、自分としてもあまり結論がない話ですが、気軽に読んでいただければと思います笑
二面性と言いましても、『嘘』と『本当』とかそういう意味ではありません。しかも私が勝手に分けているだけですので批判されるかもしれませんが笑、宗教の『理解しやすい部分』と『受け入れがたい部分』という意味です。
前者の『受け入れやすい部分』につきましては、仏教で言えば『諸行無常(万物は変化し続けて常なることはない)』や『ご縁』などがそれです。法話などでも、『みなさんは生まれた瞬間から様々なご縁を頂いて、そのご縁によって今の皆さんの性格なりが形成されています〜〜〜』とお話すると、『うんうん』と頷きながら聞いてくれます。実際に思い当たるフシがあり、体験・経験してきたことなので理解しやすいんだと思います。
反対に後者の『受け入れがたい部分』ですが、宗教の中で説かれる、自分が体験・経験してきたことではないことです。そして日本で『宗教』というと、こちらにフォーカスを当てられることが多いのではないのでしょうか。いわゆる、目に見えない幽霊や仏様や神様やらです。
法話で『阿弥陀仏は仏様になられる前に48個のお誓いを建てられまして、そのお誓いの18番目の〜〜〜』と言っても『???』となられる方が多い気がします。しかしそれも仕方ないと思います。実際に見たことじゃないことを受け入れるのは簡単ではありません。
宗教にはこういった二面性があります。どちらが優れているとか優れていないとかではなく、どちらもとても大切な教えです。前者だけ説いたらただの自己啓発ですし、後者だけ説いたらただのオカルトです。
ここで残念だと思うのは、宗教の中で、受け入れがたい部分があるからと言って、全てを拒絶してしまう人がいることです。前者の教えに代表されるように、宗教には実生活の中で役に立つことがたくさん説かれています。
『宗教なき教育は賢い鬼を作る』という言葉があるそうですが、宗教によって育まれる心というのは必ずあります。日本ではあまり実感しないかもしれませんが、ほとんどの国々では、道徳心の指針は宗教です。そして実感していないだけで、日本も実際にはそうです。
昨年『宗教を知ろう』のパネルディスカッションを行いましたが、宗教のこういった一面を知ってもらう、というのも大きな目的の一つです。怖がらず、是非一度参加してみてください!昨年と同じく、秋のお彼岸に開催しようと思ってます。
なんか変な形に着地しました笑 でも言いたいことは言えたので、これで締めさせていただきます!
南無阿弥陀仏
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