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東京市についてちょっと調べてみた

8/8のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


この夏はスポーツづいていて、8月25日からはバスケのワールドカップが沖縄で、9月8日からはラグビーのワールドカップがフランスで、それぞれ開幕します。ここ最近は大会に向けての強化試合で盛り上がりを見せていますが、日本が一丸となって日本代表を応援できる機会ですので、頑張っていい成績を出してもらいたいな、と思っています。


個人的にはやっぱりどうしてもバスケに肩入れしてしまっていますが、例の如く『アメリカ本気じゃない問題』が発生しております。NBAというリーグの影響力と経済力が強すぎるので仕方ないのかもしれませんが、アメリカ代表はベストメンバーではないですし、日本の八村選手だってシーズンを優先させて出場しません。水を差された形になりますが、そんなこと気にならないくらい盛り上がって、WBC同様にアメリカを本気にさせる未来を希望します。


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東京市についてちょっと調べてみた

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先日、とあることがあって『東京市』について軽く調べたことがありました。今では存在しない都市名ですが、その昔東京都は『東京府』であって、その中の一部地域が『東京市』となっていました。東京市の範囲ってどんくらいだったんだろう、と思いたち調べてみました。


Wikipediaで調べればこのあたりの情報はすぐ出てきますが、その当時の東京市は麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区の15区から成っていました。今の23区で使われている区名はなくて、例えば台東区は下谷区と浅草区が合併して誕生したわけです。


そして時は大正12年(1923)、関東大震災が発生しましが。その後の帝都復興区画整理事業に伴い、墓地の景観的そして衛生的な観点から、当時の東京市に属していた寺院は、東京市より郊外への移転を求められることになったそうです。これによって法善寺は赤羽に土地を買い、当時法善寺の隣にいたあるお寺は葛飾の方に土地を買い、それぞれ移転計画を進めることになりました。


ただその話を進める中で、いくもの条件を満たした『特設墓地』という形であれば、東京市内でも墓地を持てる運びとなりました。その条件の中には、墓地の一区画のサイズや高さ、一区画ごとにきちんと独立していること、公道に面していないこと、面している場合には規定の高さ以上の塀を設けること、などが含まれていました。


法善寺のことを知らない方からたまに『法善寺って墓地はないんですか?』と聞かれることがありますが、これはこの特設墓地の条件を満たしたことによる影響みたいです。法善寺の場合はお寺の裏にありますし、塀にも囲まれていますので、確かに初見では気が付きません。


ということで東京市外に移転しなくても良くなったわけですが、法善寺はすでに赤羽に土地を買っていたためそちらにも法善寺を建立し、隣のお寺はそのまま葛飾の方に移り、空いた分の土地を法善寺が買い取ることになりました。手前味噌ですが、私の今いる法善寺はこの辺りでは大きなお寺の部類に入りますが、それは元々2つお寺が入るくらいの土地を持っているから、ということなんですね。ちなみに赤羽はもっと大きいですが、それはその当時は郊外に属していたから、ということです。


この東京15区を見てみると、今だととても大きな街である、渋谷や目黒や池袋は入っていません。よく『原宿なんて昔はただの野原だった』とお年寄りの方が言っているのを聞いたりしますが、こういった歴史を知るとそれも納得です。逆に言えば、このたかが100年ほどでここまで大きな街になったことに驚くべきなのかもしれません。


ここ最近は平和ですし、東京を直に襲う様な大きな天災もなかったためか、普段生活をしていると、何となく今の状況がずっと続くんだろうなと思いがちです。ただこういった歴史を知ると、これからの時代でも何が起きても不思議じゃないなとも思えます。これも諸行無常ということでしょうか。


何も結論のないブログになりましたが、たまにはこういう回があっても良いでしょうか。情報共有ということで、許していただけると嬉しいです。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。さすがにここまでの大きな変化はもう無いかもなぁ。



南無阿弥陀仏

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