悉有仏性 -どんな人でも仏になれる-
- Nakayama Ryunosuke

- 2 日前
- 読了時間: 4分
1/23-1/29の週ブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
先週のブログで触れましたが、24日㈯は法善寺の新年会がありました。おかげさまで多くの方々にご参加いただき、また各テーブルも上手く盛り上がってくれましたので(各卓のムードメーカーの皆様に感謝)、成功だったと言っていいんじゃないでしょうか。一安心しました。
元日の修正会でも思いましたが、年始めに皆さんにお会いできるのはやっぱり嬉しいことです。引き続き良好な関係を築いていけるよう、我々も精進してまいります。
改めまして、ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。
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悉有仏性 -どんな人でも仏になれる-
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さて、今日は年に一度の人間ドックに行ってきました。もう本格的にアラフォーに差し掛かり、我が家はガン家系ということもあり、みっちりと検査してもらいました。結果は後日なので無事を祈るばかりですが、まずは胃カメラを乗り切った自分をほめてあげたいと思います(今年は特にしんどかった、、、)。

ちなみに人間ドックを受けるクリニックは品川にあるんですが、駅前の工事がすごかったです。あまり来ないので気が付きませんでしたが、そういえばずいぶん前に来た時もガンガン工事していました。何が出来るのか、はたまた何も出来ないのかは知りませんが、また品川駅がキレイになるんでしょうか。
話を戻して、人間ドック後は恒例(?)のラーメン二郎品川店で、前日夜から節制していた分のカロリーを補いました。ただ、数年前からノリで二郎に行ってはいたものの、今日はそこまで美味しく感じられませんでした。年のせいかは知りませんが、無理して食べるものでもないので(ホントに)、来年からはもっと健康的なリカバリーを考えていきます。
それにしても、人間ドックを受けていると、普段考えないようなことを色々と考えてしまいます。どこか悪かったらどうしようと心配しながら、先生や看護師さんの一挙手一投足に注目しています。心配性なのかもしれませんが、今の法善寺では私が倒れたら一大事だと自覚しているので、そこらへんは結構ナーバスだったりします。
ただまあ、そんな生にしがみつこうとするのも煩悩なのかもしれません。仏教では執着(しゅうぢゃく)と言ったりしますが、自己中心的なあり方から抜け出すことが出来ていません。何とも難しいことを仏教に説かれている、小僧な私です。
とは言え、そんな私にも仏となる種「仏性(ぶっしょう)」というものがあるはずです。煩悩によって見えにくくなっていますが確かにある、とお釈迦様は説いています。もちろん私以外の生き物にも仏性は宿っておりまして、これを「悉有仏性(しつうぶっしょう)」と言ったりします。
昨今、凄惨なニュースを目にする機会が増えた気がしますが、それに加えて周りからの罵詈雑言に特に気が行ってしまいます。犯罪者やスキャンダルを起こした人を叩きたくなる気持ちが分からんでもないですが、やっぱり心の貧しさを感じざるを得ません。
その人がどんな背景でそこに至ったか、自分が同じ境遇だったら「絶対にしない」と言えるのか、もっと言えば、自分はその人に対して全く無関係と言えるのか。これらを深く考えて物事を発言しているのでしょうか。
もちろん被害者がいて、その方たちには大変気の毒なことだとは思いますが、加害者側にもそこに至るまで様々な縁起が働いたわけで、それを考えると全く別世界の人間だとは到底思えないはずです。どんな人にも仏性がある一方で、どんな人でも縁起次第ではどうなるか分からないのが、この世界の理です。
我々はそんな感じで、平均台の上をふらふらと歩いているように人生を歩んでいます。今日も何もなかったのなら、それはそれでとても有難いことです。私としては、人間ドックの結果が「何もなかった」となることを願って、結果が出るまでの二週間ほどを過ごしていきたいと思います。
ブログをお読みいただきありがとうございます。煩悩で覆われた仏性にも届く光であられる阿弥陀仏に、ビッグ感謝。
南無阿弥陀仏
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