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利他と利己

8/5のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


心配していた子どもたちの体調ですが、すっかり良くなりました。念の為受けていたPCR検査も陰性、ということでまた明日から保育園に通うことができそうです。大丈夫だろうとは思いつつも、もし陽性だったら・・・という心配はありましたので本当に良かったです。


もし陽性だったら確実に私は濃厚接触者なので、今だったら3日間(?)隔離されます。タイミング的に土日を取られてしまうので、お寺や門徒さんにめちゃくちゃ迷惑をかけてしまうところでした。このルールどうにかならないのかな、と思いつつも、まだまだコロナで苦しんでおられる方々もいらっしゃるので致し方ありません。本当に、一安心しました。皆様も引き続きお気を付けください。


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利他と利己

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ちょっと前になにかのコラムで、利他と利己の違いについて書かれているのを拝読しました。もちろん辞書を引けば、利他は他人を利する行為、利己は自分を利する行為、という明確な違いがあります。ただし、とある行為が利他的なのか利己的なのか、その判断基準は受け手によるよね、という内容だったと思います。


その人のために、と思いながら行なったことでも、受け手が喜ばなければそれは利他ではなく、むしろ『喜ばせてあげよう』という利己的な行為になってしまいます。平たく言ってしまえば、ありがた迷惑となるのでしょうか。皆さんもご自身の経験から心当たりがあるんじゃないでしょうか。


私がパッと思い浮かんだのは、葬儀のときの椅子引きです。ご厚意でやっていただいているのは重々承知しておりますし、会社のマニュアルみたいなのもあるのでしょうが、個人的には必要ないので、聞かれたらお断りしています。


葬儀で七条を着られる方は、修多羅を巻き込まないようにするために必要なんだとは思いますが、私は基本的には五条で葬儀を執り行います。自分で、机との距離感を調整しながら座りたいのですが、椅子引きがあるとそれがなかなかうまく行きません。結局座ったあとに微調整をしなければいけなく、それで法衣を引っ張ったりすることもあります。


また、私の場合は、椅子引きをしてくださる方が年上の場合がほとんどなので、気を使ってしまうというのもあります。気にしすぎなのかもしれませんが、年上の人に介添えさせてるという絵面があまり気持ちよくないんです。ドンと構えた男になりたいものですが、難しいものです。


ドラッカー氏の本(確か『プロフェッショナルの条件』)に、無人の森で発せられた大きな音は、発生していないのと同じ、といった描写がありました。これはコミュニケーションの話だったと思いますが、受け手の大事さを描いたという意味では、今回の利他と利己にも通じる比喩だと思います。相手に受け取られない発言はしていないも同然、相手に喜ばれない利他は利己、ということでしょうか。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。こう考えると、本当の利他は何とも難しい行為ですね。



南無阿弥陀仏

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