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【再掲載:パネリストインタビュー】増田琴氏(経堂緑岡教会牧師)

2/16のブログです。


こんばんは。法善寺住職の中山龍之介です。


2/23に開催される、世界三大宗教間によるパネルディスカッション、第2回『宗教を知ろう』まであと一週間となりました。ということで、今日から3日間は通常のブログをお休みして、パネリストの方々のインタビューをお届けいたします。本日は、経堂緑岡教会の増田牧師です。


元々は2020年の9月に開催する予定でしたので、こちらのインタビューはそれより以前に掲載したものの再掲となります。少し情報が古いところもありますが、パネリストの方々の経歴や人となりが伝われば幸いです。


それではご覧ください。

 

第2回『宗教を知ろう』パネリストインタビュー

経堂緑岡教会牧師 増田琴氏


中山:

本日はお時間頂戴しまして、ありがとうございます。インタビュー、よろしくお願いいたします。

増田さんは幼少期、どのような子供でしたか?

増田:

私自身も牧師の娘で、母方の祖父母の牧師という家柄に生まれました。牧師は世襲ではありませんが、ある意味3代目ですね(笑) 琴と言う名前も、聖書から付けられたものです。家が教会でしたので、日曜礼拝は欠かさずに行っていました。運動会があっても日曜礼拝は休まない子供でしたね。

元々は東京の生まれですが、開拓伝道のために父が鳥取へ行くこととなり、家族も付いて行きました。『開拓』という名の通り、キリスト教に縁が無い土地で何のツテも無い中で父は布教に努めていました。借家の二間で、毎週チラシ配りをしていた覚えがあります。

中山:

トップダウンでそういう指令が出されるんですね。右も左も分からない場所で、とてもご苦労されたことと存じます。

増田:

そうですね。父は英語が話せたので、地元の子供たちに英語を教えたりしていたのですが、それがきっかけとなって大家の息子さんがキリスト教の洗礼を受けられました。その方とは、今でも交流が続いています。様々な苦労がありましたが、そうやって段々と人が集まるようになっていきました。

結局高校卒業まで鳥取県にいたのですが、キリスト教に馴染みの薄い土地柄であったことは間違いありません。東京では青山学院などのキリスト教の学校があったりしますが、鳥取ではそういった学校がほとんどなく、『キリスト教徒』というだけで周りと違うと感じていました。また、父が厳格で地元のお祭りなんかにも行くことが出来ませんでしたので、それも影響したかもしれません。

中山:

ご自身が洗礼を受けられたのはいつ頃でしたか?

増田:

キリスト教の場合、信仰は世襲ではありませんので自発的に洗礼を受けることになります。私は、もちろん家族の影響もある中ですが、10歳で洗礼を受けました。

その後、高校2年生の時に『牧師になろう』と思い、卒業後に東京神学大学に入りました。ちなみに広田さん(第1回『宗教を知ろう』のパネリスト)は大学の後輩にあたります。

大学の4年間では基礎的なことやキリスト教の歴史を学び、大学院の2年間では旧約聖書の研究や、ヘブライ語・アッカド語などの言語の研究をし、博士課程の2年間ではより専門的な学びを得ました。

中山:

恥ずかしながら、初めてお聞きする言語が出て来ました(笑) 修士に留まらず、博士課程まで進まれているんですね。

増田:

そうですね。昔から本を読むのが好きで、ドストエフスキーなんかを読んでいたのですが、好きな分野なら苦が無く勉強できるタイプだと思います(笑)

中山:

それは羨ましい。。。

大学卒業後はどのような活動をされていたんですか?

増田:

大学卒業後は札幌の教会に勤めることになり、その期間に今の夫と結婚しています。

その当時、いじめなどで学校へ通えない子供が増えていることが社会問題となってきていました。そして勤め始めてから2年ほど経ったとき、フリースクールで働きたいという夫の希望で、福島県の『ニューライフカレッジ』というところへ行きました。そこでは中高生くらいの年齢の人たちと一緒に生活をして、日曜日はキリスト教の礼拝をしていました。

3年間ほど勤めたときに、栃木県氏家町にある氏家教会の主任牧師になるお話を頂き、また転勤することになりました。そこの教会では『ヒカリ園』という幼稚園を運営していて、私は園長の役職にも就くことになりました。自然の中にある幼稚園で、個性を伸ばすことを大事にしていた幼稚園で私自身が多くを学びました。その幼稚園は障がいがある子供も同じクラスで過ごしていたのも、当時ではまだ珍しかったと思います。ちなみに私には子供が3人いますが、全員そこに通っていました。

氏家で8年間を過ごした後、東京に戻ってきて巣鴨ときわ教会の主任牧師を勤めました。そちらで12年以上勤めた後に、今の経堂に移ってきました。

中山:

僧侶とは違い、転勤が多くて大変そうですね(笑)

増田:

そうですね、日本基督教団の場合は招聘といって教会から招かれて異動しますので、全国を渡り歩きますね(笑) 人によるのですが。その土地土地で体当たりしながら、幅広い年齢層の方々に触れることが出来ました。

中山:

話を少し戻しますが、高校2年生で牧師を志すようになったとのことですが、何かきっかけはありましたか?

増田:

生い立ちもありますが、父からの影響が特に大きかったと思います。鳥取県にいたとき、牧師である父に、とある女性が子供を連れて来たことがあります。何か思い詰めている風ではありましたが、その場は何事もなく帰っていかれました。しかし翌日、その方が子供と一緒に無理心中をしたとニュースになっていました。DV(家庭内暴力)を受けていて悩んでおられたそうです。父はその方の避難場所を提供しようとしたのですが、間に入られた方が家に戻るように言われたようでした。これをきっかけに父は、母子寮を設けてその方たちの生活保護の申請などを手伝うようになりました。

こういった出来事から、命と関わる、命に携わる牧師という仕事はこの世界に必要な仕事だと思い始めました。また、今回の『宗教を知ろう』のテーマでもありますが、死をどう受け止めるべきなのかを考えるようにもなりました。

中山:

それは衝撃的な出来事でしたね。

現在は宗教家として、どのような活動をされていますか?

増田:

教育の場面が多いですね。恵泉女学園中学で聖書についてお話をしたり、放送大学で死生学を教えたり、聖公会神学院でキリスト教倫理を教えたりしています。人が生きること、死を迎えることをどう受け入れるか、こういった事柄を学べる場があまりないので、それを提供しようと思っています。

教会の牧師としては、毎週の主日礼拝(日曜礼拝)、水曜木曜は聖書研究会などを開催しています。また、教会員の方々の病床やホーム、病院を訪問したりもしています。

中山:

聞いているだけで、とても忙しそうです(笑)

そんな中、『宗教を知ろう』にご協力いただけた理由を教えていただけますか?

増田:

とんでもないです(笑)

理由はいくつかありますが、私自身が仏教やイスラム教について勉強してみたいという気持ちがあったことです。今回のテーマである『死生観』と『性差』について、他の宗教ではどういうことを説かれるのだろうか、という興味があります。

また、中山さんにお会いしてとても良い方でしたし、会の趣旨にも賛同できましたので協力させていただくことを決めました。

中山:

持ち上げていただき、ありがとうございます(笑)

最後に、観覧される方々へのメッセージをお願いいたします。

増田:

『宗教を知ろう』の名前通りですが、この会が宗教に興味を持つきっかけとなってくれれば嬉しいです。本で学ぶ知識もありますが、人から聞く話はもっと心に響くはずです。

中山:

増田さん、ありがとうございました!

●増田 琴●

東京都出身。牧師の家に生まれ、小さいころからキリスト教に触れながら育つ。10歳で洗礼を受け、高校2年生で自身も牧師になることを決意。東京神学大学に進学後、博士課程までを同校で過ごす。北海道、福島、栃木の教会で牧師としての経験を積み、現在は経堂緑岡教会の主任牧師を務める。教育現場にも深く携わり、聖公会神学院(キリスト教倫理)、放送大学(死生学)、恵泉女学園中学(聖書科)で非常勤講師を務めている。

●第2回『宗教を知ろう』概要●


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