思い出は無くならない
- Nakayama Ryunosuke

- 9月25日
- 読了時間: 3分
9/19-9/25の週ブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
早いもので、秋のお彼岸も明日で最終日となりました。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、この一週間で真夏から一気に過ごしやすい気候になってきました。ただそれでも30℃近くあったりしますので、私の感覚が麻痺しているのかもしれませんが。
そういえば、先般より告知させていただいておりました法善寺のバスツアーですが、おかげさまで満員となりました。多くのお申込みを頂き本当にうれしく思っております、ありがとうございます。
あとは本番当日、楽しく開催できるよう頑張ってまいります。どうぞご期待ください。
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思い出は無くならない
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お彼岸を迎えているすぐ横で、庫裏の解体が着々と進んでいます。日に日に形が変わっていき、既に一部は地面が出始めてきました。広い敷地だなぁと自分事ながら感心してしまいました。

壊されていく庫裏を見ながら、私と妻と母は『あー』とか『おー』とか、驚嘆の声を上げたりしています。特に私と母にとっては、40年近くの思い出が詰まった建物ですので色々と思うことがあります。
ただ、解体前に想像していたよりは感傷に浸っていない自分がいたりして、そこに少し驚いています。何でだろうと思考を巡らせてみて出てきた結論は、『思い出は無くならない』ということでした。
小さいころに祖父と入った広い一階のお風呂、家族みんなで囲んだお座敷での食卓、姉の部屋、自分の部屋、友達と遊んだリビング。数えればキリがないほどの思い出が庫裏には詰まっていますが、形を失ってもその思い出が消えることはありません。
ミュージシャンの甲本ヒロトさんがインタビューで、尊敬する先輩ミュージシャンである鮎川誠さんが亡くなったことについて聞かれた際に、『いなくなったことは大したことじゃない。いたってことがすごいんだ』と仰っておりましたが、その気持ちが少し理解できた気がします。
庫裏が無くなったことは大したことじゃない、と言い切れるほどの強さは私にはないですが、庫裏があってたくさんの思い出がある、という事実はこれからも変わりません。生まれてから大人になるまで過ごした庫裏は確かにあったんだ、と自信をもって言えます。
年をとればとるほど、多くの別れを経験します。ただそんな時でも、『いたってことがすごいんだ』という気持ちが持てれば、自然と感謝の思いがあふれ出てくるはずです。今の自分があるのも、沢山の思い出を残せているのも、『いてくれた』からである、と。
明日からも解体は続きます。感謝の気持ちを持ちながら、最後まできちんと見届けようと思います。
ブログをお読みいただきありがとうございます。感傷に浸っていないとか言いつつ、思い出を一つ一つ反芻するとグッとくるものがありますね。
南無阿弥陀仏
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