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老いなき世界

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


本当なら本日は『宗教を知ろう』を開催しているところでした。パネリストの方々や観覧の方々には申し訳ない気持ちでいっぱいで、私自身も準備に多くの時間を費やしてきましたので悔しい気持ちもあります。ただ諸事情により延期しましたので、致し方ありません。


落ち着きましたらまた開催のアナウンスをいたしますので、是非ともよろしくお願いいたします。

 

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老いなき世界は来るのか

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さて、自分で企画したイベントを自分で延期した日に何を書けばいいのか良く分かりませんが、思うがままに指を動かしていこうと思います。(ちなみに先輩の結婚祝いの飲み会も断ってしまいました)


さてさて、


私は時間が空けば、しょっちゅうYouTubeを見ています。特に好きなのが『中田敦彦のユーチューブ大学』というチャンネルで、オリエンタルラジオの中田敦彦が様々な本の内容をエクストリームに(要点だけを取り上げて)紹介するチャンネルです。全然読書が出来ていないのですが、これを見ることで読書した気になっています。


そんなユーチューブ大学ですが、ここ数日の動画が興味深かったのでブログの方で共有させていただきます。


まず2日前と1日前にあげられた動画は、ヴィーガンをトピックとして扱っていました。最近注目度が上がっているヴィーガンでしたが、一体ヴィーガンとは何なのか、何故今そのようなムーブメントが起きているのか、その辺りが分かりやすく説明されていました。


私は動画を見る前、ヴィーガンというのはベジタリアンの最上級の人たちのことを言うんだろうな、とざっくりとした理解でしたが、実は環境問題にもつながっていることに大変驚きました。人間が肉を食べることで多くの二酸化炭素が排出され、それがいかに地球に悪いのか、この辺りの話はまさに目から鱗でした。『え、そこ繋がってるの?』と思う話の連続でしたが、聞けば納得です。ただ『よし、それじゃあヴィーガンになるぞ』と即決できるほどの意志も持ち合わせておりませんので、出来ることから少しずつやってみようと思います。


そして本日の動画は、『老化は治せる』というトピックでした。まだ前編だけで、後編は明日公開なのでまだ全容はつかみ切れていませんが、なかなか衝撃的なトピックです。トピックだけ聞くと『都市伝説でしょ?』と思いたくなるものですが、実はそうではないとのことで、後編が楽しみです。


ただ僧侶としては、もし老化が無くなると、宗教の立ち位置も変わってくるなーという想いもあります。


仏教の有名なお話で、『四門出遊』があります。お釈迦様がまだ出家する前の若かりし頃、王城の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりに見て、出家を決意したという伝説です(ほぼコピペ)。ここに『老人』という存在が出てきています。


また仏教では四苦八苦という言葉もあります。生・老・病・死の四苦に、愛別離苦(愛する人と別れる苦しみ)・怨憎会苦(憎い人に出会う苦しみ)・求不得苦(求めたものを得られない苦しみ)・五陰盛苦(自身の欲望や感覚が抑えられない苦しみ)の四苦を加えた言葉です(ほぼコピペ)。ここでも最初の四苦の中に、『老』という存在が出て来ます。


仏教においては、『老』は苦しみの一つであり、こういった苦しみから逃れるために涅槃(悟りの境地)を目指しましょうね、と説いています。涅槃への道のりは様々で、だからこそ様々な仏様がいらっしゃるわけですが、『苦しみ』というスタート地点は一緒です。そしてもし老いそのものが無くなるとするのなら、そのスタート地点が揺らいでしまいます。


別に『仏教の存続をかけて、そんな医療の進化はあってはならない!』とは思いませんが、仏教に限らず、もし老いや死が無くなる世界が来るのなら、宗教も無くなっていくだろうなとは思います。何もかも人間がコントロールできる世界が来るのなら、自分たち以上の大きな存在を感じることが無いからです。


仏教では死や老いを『苦しみ』と表現していますので無くなった方が良いんだとは思いますが、もしも人間自身の手によってそれらが無くなる日が来るのなら、それはそれで人類は終わりを迎えることになりそうです。今日の動画を見ながら、ふとそんなことを考えていました。


もし興味ある方は、是非ご覧くださいませ。内容としてはとても面白いですよ。


ヴィーガンの動画(前編)


ヴィーガンの動画(後編)


老いなき世界(前編)



南無阿弥陀仏

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