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本堂前の石畳とかをキレイにしました

8/11のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は午前中にジムに行き、プールで泳いできました。クロールを100m泳いだら平泳ぎ100m、そしたらまたクロールを100mという順番で合計1km泳ぎました。


『百里の道は九十九里を半ばとす』という言葉がありますが、私はこれには賛同しかねていて、半分くらい(今日なら500m)まで来れば、残りの半分は早く感じます。むしろ、『百里の道は半ばを九十九里とす』という方が体感的には正しいです。つまり何が言いたいかというと、最初の500mがめちゃくちゃしんどかったという事です。


1km泳いだ後にクールダウンとして、ビート板を使ってバタ足で50m、平泳ぎの足のみで50m泳いで締めました。プールの後はジェクサに備え付けの銭湯に行って、サウナに入りながら高校野球を見ていました。今年は開催出来て良かったと思いながら、水風呂にも入り、キリっとした朝を締め括ることが出来ました。


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本堂前の石畳とかをキレイにしました ==============================


法善寺の本堂前には、石でできた階段や石畳があるのですが、少し前から母が『汚くて気になって仕方が無い』と言っていました。私は『そうかな?』と思っていたのですが、気になるなら掃除すればということで、昨年にも墓地の塀を高圧洗浄機でキレイにしてくれた業者に再度依頼しました。

そして今日がその清掃当日でした。結論から申し上げると、めちゃくちゃキレイになりました。キレイになったことにも驚きましたが、見慣れていたとはいえ、こんなに汚かったのか!ということに、もっと驚きました。本堂前の階段ってこんなに白かったんですね。掃除してるところとしてないところの差がヤバすぎます。


先日の池の濾過機設置でも思いましたが、こんなになるまで放っておいて、石たちに申し訳ない気持ちになりました。また、こんな状態でお檀家さんをお出迎えしていたのかと思うと、とても恥ずかしいです。今日の清掃で、法善寺の前を通り過ぎただけで『あれ、法善寺明るくなった?』と思われるくらい変わったと思いますので、是非お立ち寄りください。


キレイとか汚いとか、人間の価値観に絶対的な基準はありません。実際今回も、私は清掃が入るまで汚いと思っていませんでしたが、清掃が入ってみると『めちゃくちゃ汚い』と思いました。自分をフォローするわけではありませんが、同じ人間、同じ状況でも、タイミングや周りの環境によって感じ方は変わるものです。


ここで言う『タイミング』や『周りの環境』などが仏教で『ご縁』と呼ばれるものです。こういったご縁があるからこそ、諸行無常(何事も常ならない、変化している)であり、諸法無我(絶対的な自我はない)ということなんですね。この仏教の考え方ってホント面白いし、ホント真理を突いていると思います。これに照らし合わせると、日本政府の対応なんかも俯瞰で見ることが出来る気がします。


最近東京では暑い日ばかりですが、赤道直下に住む人たち(もしくは熊谷市民)からすれば、これくらいの暑さは問題ないのかもしれません。むしろ、大雨による被害が無いだけ幸せなのかもしれません。


明日から西日本中心に天気が荒れるそうです。何事もなく、無事に過ぎ去ってくれることを祈っています。



南無阿弥陀仏

 

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