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親鸞聖人の足跡を巡る旅 パート2

みなさん、こんにちは!

法善寺副住職の中山龍之介です。

親鸞聖人の足跡をたどる旅 パート1』から引き続き、本日はパート2をお届けします!

『親鸞聖人の足跡を辿る旅 パート2』は、流罪の地から、関東への歩み始めまでを追っていきます!上図ですと、居多ヶ浜から善光寺の手前までをご紹介します。

それでは、ご覧ください!!

 

●親鸞聖人の足跡を辿る旅 パート2

『居多ヶ浜』(新潟県上越市)

~親鸞聖人流罪の地~

①石碑と日本海

②見真堂

③親鸞聖人上陸の地

【この場所について】

 新潟県上越市五智6-3-4 にある、親鸞聖人が居多ヶ浜( こたがはま) に上陸したことを記念するお堂( 写真②)。昭和42 年(1967) 近くの林正寺( 上越市住吉町1-1) 住職古海香雲氏が建立している。近くには越後の七不思議の一つ片葉の葦が生育する。なお居多ヶ浜上陸は、江戸時代中期の『遺徳法輪集』『大谷遺跡録』に古老の言い伝えとして見える。

【副住職の感想】

日本海が目の前ということもあり、風がとても強く冷たかったです。流罪は遠流( おんる) と呼ばれ死罪に次ぐ重い刑罰でした。この風を感じると、このような厳しい土地に送られることが罰だったことが納得できる気がします。

 

『五智国分寺』(新潟県上越市)

~親鸞聖人流罪の地~

①親鸞堂

②親鸞聖人木像

③五智如来

④鏡ヶ池

【この場所について】

 上越市五智3-20-21 にある天台宗寺院でかつての越後国国分寺。本堂は平成9年(1997) の再建。元禄6年(1693) に記された『聖人御伝鈔改補照蒙記』に、国府に入った聖人が1 ~ 2年間住んでいた竹ノ内草庵のことが記されているところから、五智国分寺の境内には竹ノ内草庵跡という石碑が建てられ、親鸞堂( 写真①) には近くの鏡ケ池(写真④)を水鏡として御自分の姿を描いたと伝えられる親鸞聖人木像がある。近年津田徹英氏( 東京文化財研究所) はこの像を中世以前まで遡る古いものと見ている。

【副住職の感想】

親鸞聖人が流罪の後、初めて長期滞在したのがこの竹ノ内草庵とされています。ご住職に案内していただき、親鸞聖人木像( 写真②) も拝見することが出来ました。また本堂には、大日如来の五つの智慧を表す五智如来( 写真③) が安置されていました。住職がなんと、上野出身ということで、話が盛り上がりました。

 

『野積の山寺 西生寺・地蔵院』(新潟県長岡市)

~親鸞聖人流罪の地~

①西生寺

②地蔵院

③腰掛石

【この場所について】

 新潟県長岡市寺泊野積( のづみ) にある寺院。西生寺( さいしょうじ 写真①) は親鸞の息子である信蓮房が不断念仏という行をおこなったとされるお寺で、親鸞聖人もお立ち寄りになったとされる。すぐ隣にある地蔵院( 写真②) には、その時親鸞聖人が腰掛けたと言われる腰掛け石が、松の木の下に今でも残っている( 写真③)。

【副住職の感想】

長岡市ということで、直江津からレンタカーを使って伺いました。日本海のすぐ横を走る事1時間半ほどで着きました。地蔵院のすぐ裏には、ここにも日本海が広がっていて、親鸞聖人も同じ海を見て、そしてその時の心境がご自身が書くことになる和讃に影響を与えたのか、と感慨深くなりました。

 

『藤ノ木御旧跡』(長野県飯山市)

~親鸞聖人関東への歩み~

①小堂外観

②小堂内観

③ご旧跡からの眺め

④斑尾高原

【この場所について】

 長野県飯山市大字旭藤ノ木にある御旧跡地で、親鸞聖人が関東に向う際に逗留したという伝承が伝わる。現地には小堂( 写真①②) があり、「親鸞聖人・蓮如上人御旧跡」と刻まれた顕彰碑が立っている。小堂の中には、親鸞聖人直筆と言い伝えられる中幅の十字名号と、旧跡の由来を記した由緒書等が納められている。

【副住職の感想】

親鸞聖人の流罪が解かれた後、関東に向かう道の途中で寄ったと思われる旧跡です。山々に囲まれ、すぐ近くには斑尾高原( 写真④) も広がっています。親鸞聖人は、最初に滞在した上越にも多くの門徒がいたと思われますが、ご自身の考えをまとめ、それを著する場所を探す中で、寒さや雪の厳しい上越ではなく、より気候の良い南の方に足を進められたのではないかと感じました。

 

以上です!

パート3もお楽しみに!!

南無阿弥陀仏

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