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伝えるものと伝え方


みなさん、こんにちは!

法善寺副住職の中山龍之介です。

今回は最近思っていることに関して、つらつらだらだらと書いていこうかと思います。

私たちの毎日は、とても速いスピードで変化しています。私は特に、スマートフォンを見ていると、これを感じます。

つい10年くらい前までは、ほとんどの人がパカパカ開く携帯電話を使っていましたが、今はほとんどの人がスマートフォンです。毎年、いや毎シーズン新たな機種が発表され、こんな新しい機能が追加されたとか、カメラの画質が良くなったとか、画面が大きくなった、など様々な特徴が謳われています。(機械好きですので、こんな情報は嫌いじゃないのですが…)

私の本当に小さいころはまだまだ携帯電話は普及していませんでした(ちなみに現在31歳です)。中学生くらいから持つ人は持ち始め、私も中学2年生から持ち始めました。今の子ですと、小学生くらいから持っている子も少なくないと思います。

この携帯電話、そしてスマートフォンというのが、人とのコミュニケーションの取り方を劇的に変化させたと思います。電話からメールになり、メールからLINEになり、よりデジタルな方法でコミュニケーションを取れるようになりました。気軽にコミュニケーションを取れることは素晴らしいのですが、その反面直接的な対人コミュニケーションの機会が減りました。

私は自分ではちょうど狭間の世代だなと思うのですが、私より年上(40才前後)の人たちは携帯電話なしで育ってきたので、直接的なコミュニケーションを好み、そしてそれが得意な人が多いです。逆に私より年下(20才代)はデジタルなコミュニケーションを多用し、直接的な対人コミュニケーションが苦手な人が多いです。(もちろん個人差ありで、若くても対人コミュニケーションがとても上手な人もたくさんいますよ!)

さて、何が言いたいかというと、コミュニケーションの取り方は変化する、ということです。よく『近頃の若い者は~~~』とおっしゃる方もいますが、これは良くも悪くも仕方ないと思います。だって周りの環境が全く違うんですから(余談ですが、小さいころ、『最近の子供はテレビゲームに没頭して、外で全然遊ばなくなった』と言われてきましたが、あなたたちが子供のころには、こんな楽しいおもちゃなかったでしょ!と言いたいです笑)

ここで、タイトルにもありますが、伝えるものと伝え方。

私たち僧侶として、『伝えるもの』は不変であるべきです。つまり、お釈迦様の教え、親鸞聖人の教えというのは変わることはありません。時代に左右されない、どんな時代でも通じる、人間の本性や本質について説かれているからです。

ただし、『伝え方』は変わっていきます。昔はみんな集まって直接お話を聞くしかありませんでした。そこから時代は進み、お手紙が使われ、現在ではこのようにインターネットを使って、人に伝えることが出来ます。更に言うと、仏教の教えを現代風に噛み砕いてお伝えするのも我々僧侶の仕事です。経典に書いてあることをそのまま口に出したって、伝わりっこありません。私だってわかりません。ですから、その仏教の教えを、どのように伝えていくのか、それを考えることは、仏教そのものを学ぶことにも近いくらい大事だと思っています。

全国でたくさんの僧侶の方がいらっしゃって、みなさんそれを模索されていると思います。テクノ法要やDJは私はしませんが笑、プロジェクター使ってプレゼンしたり、バスツアーしたり、他にも様々な企画を考えて、私なりの方法で皆様にお伝えできればと思っています。もちろん法話だってしますよ!

長くなりましたが、少し頭の整理も兼ねて書かせていただきました。

それでは『伝えるもの』を学びに、本願寺学院に行ってきます笑

南無阿弥陀仏

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