お寺の貯金
こんばんは。
法善寺副住職の中山龍之介です。
お寺に入って実感するのは『お寺には貯金がある』ということです。
いきなり生々しい話だな、と思う方もいらっしゃると思いますが、ここで言う貯金とはお金のことではなく、『信用』のことです。
例えば、1000年以上続くお寺、と言われると、その歴史の分だけ信用があります。また、前前住職が布教に努められましてお寺は大変盛り上がりました、という前前住職の信用というのは時を超えて今の私達にも残されています。このようにお寺は、先祖代々の方々が築いてきた『信用』という貯金によって成り立っていると言っても過言ではありません。
しかし反対に、貯金は貯金ですから、いつか無くなってしまいます。私達の子供や孫、更にもっと先の世代に続くように、私達もその貯金を使い果たすのでは無く、更に大きくして引き継いでいかなければいけません。
現在の日本では、お寺は分岐点に立たされています。私が年老いている頃には、半数近くのお寺が無くなるとも言われています。そんな中で、残った貯金を数えるのか、貯金を減らさずに増やす努力をするのか、その選択が大きな意味を持つと思います。
それこそお寺によっては、未だに1000年近く昔の貯金を削りながら生きながらえているお寺もあります。しかしこの現代では、少し前よりも貯金のなくなるペースが早いです。そんな時代でも淘汰されないように、お寺自身も努力をしなければいけないんだと思います。
実家がお寺と言うと、じゃあ安泰だねと言われることも多いですが、はっきり言って私は危機感しかありません。
私がおじいさんになっても、今と変わらぬ、いやそれ以上に繁栄した法善寺であるように、今から貯金をためていかないといけないなと思っています。
頑張ります!
南無阿弥陀仏