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令和4年報恩講厳修

11/3のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は自坊(自分のお寺)での報恩講でした。お念仏の教えを弘められた親鸞聖人の、『恩』に『報』いることが報恩講の意義でして、浄土真宗寺院では一年で一番大きな法要になります。


コロナ禍になって3回目となった今年の報恩講ですが、年々お詣りの方が増えてきていて嬉しい限りです。2年前は父の葬儀の直後であまり記憶がないのですが、確かお詣りの方は無しで私一人でお勤めした気がしますし、昨年は世話人さんたちだけだった記憶があります。来年はもっと、と行きたいところです。


法善寺の報恩講は1座でのお勤めで、11時から法話、12時から法要という流れです。今回の法話は外の人には頼まず、私自身でさせていただきました。小難しい話はしたくないな(というか出来ない)と思っていたので、『仏教入門編』みたいな話をすることにしました。あまり自信が無かったですし、終わった後も手応えはなかったのですが、とある門徒さんから『とても良かったです。これからも住職が法話してください』と言っていただき、大変ありがたい限りです。今後も頑張っていきたいと思いました。


法要は、形ばかりに登高座もさせていただき、正信偈の真四句目下、六首引きの念仏和讃淘五、という一応一般末寺としては一番重いお勤めをしました。親戚や近所のお寺さんにも手伝っていただきの法要は、やっぱり良いものです。法要の後には御俗姓御文も読みましたが、法話から声出しっぱなしの影響か、最後の方は少し枯れてしまいました。まだまだ修行が足りません。


今年は、何だか久しぶりに報恩講のお勤めが出来たみたいで、純粋にうれしかったです。コロナ禍になっての報恩講、父がいなくなっての報恩講、とイレギュラー続きでしたが、今年は平年通りのお勤めが出来たんじゃないでしょうか。


なんでもないようなことが、幸せだったと思う、そんな令和4年の報恩講でございました。みなさん、ありがとうございました。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。夜の声明学園で、喉は完全に死にました。



南無阿弥陀仏

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