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五帖御文のお勉強開始

2/9のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


明日の午前中に雪が降るかもしれない、とのことで前日の今日も寒さが響く1日でございました。気温よりも風が強かったので体感温度が低かっただけかもしれませんが、明日はもっと寒くなりそうです。ばっちり対策して乗り越えたいと思います。


三寒四温という言葉がありますが、寒い日が過ぎれば暖かい日がやってきます。3日来て、4日来て、みたいな感じで徐々に暖かくなっていくんでしょうか。ともかく、明日の寒さは本物ですのでみなさん気を付けて過ごしていきましょう。


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五帖御文のお勉強開始

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さて、そんな今日は声明学園の授業がありました。先週までは二淘念仏和讃の授業でしたが、今週からは五帖御文の授業となります。


御文とは、簡単に言えば本願寺八代目の蓮如上人が書かれたお手紙のことです。いまから500年以上昔の方ですので、今みたいに電話やテレビやメールがない時代に、お手紙を一通一通書かれて、浄土真宗の教えを広められた、と言われています。お手紙を受け取った人がそのお手紙を仲間内に読み聞かせ、という感じで教えが広まっていったんですね。今で言えば、御文がCD、読み手がCDプレイヤー、みたいな役割を担っていたみたいです。


御文のようなものを『拝読物』と言ったりしますが、仮に覚えていてもきちんと本を手に取って読まなければいけませんし、基本的には1人で全て読み切ります。他のものですと、調声といって最初の1行は1人で称え、あとはみんなで称える、という形がメインですが、そういう意味では拝読物は少し特殊かもしれません。


それ故に一人一人の癖が大きく出るのも拝読物です。普段1人で読んでいるものだから何にも間違っていないと思ってしまいがちですが、他の方や先生のお手本を聞くと『あれ、自分のここの読み方間違ってたかも』と振り返ることが出来ます。今日私もまさしくそれで、区切りのあとの音が低く入ってしまっていました。こういう癖を見直すのには、やっぱり先生に見ていただくしかありませんので、良いお稽古を受けさせていただきました。


声明というのは口伝ですので、『これが正解だ!』という絶対的な物はありません。ただある程度の基準はありますし、自分なりの軸を持つことはとても大切です。『私はこう称えていますが、時所相応で対応させていただきます』というのが理想かと思いますが、なかなかそこの域に達するのも難しいものです。今日の私のように、自分の頭の中で『私はこう称えています』と思っていたものが、気付かないうちにズレている可能性もあります。何事でも自称中級者が一番危ないと言ったりしますが、今後も謙虚な気持ちを忘れずに稽古に励みたいと思います。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。毎回ベストを尽くしているつもりでも、会心の声明って出来たことないなぁ。



南無阿弥陀仏

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