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『宗教を知ろう』開催延期のお知らせ + α

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


まず始めに、2日間ブログの更新を飛ばしてしまいました。


自分で勝手に始めたブログですが、門徒さんなんかから『ブログ読んでますよ』というお声もちらほら頂いておりましたので、楽しみにしてくださっている方々には大変申し訳ございませんでした。お彼岸とは関係の無いところでバタバタしておりまして、更新することが出来ませんでした。


ただ、まだバタバタが収まった訳では無く、今週末に予定していた『宗教を知ろう』は一旦延期をさせて頂きました。パネリストの方々はもちろん、お申込みいただいた方々にも個別に御連絡差し上げましたが、この場を借りて改めて、大変申し訳ございませんでした。落ち着きましたらまた日程調整しますので、引き続きよろしくお願いいたします。

 

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お彼岸が復調傾向

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ここからは普段通りのブログにしていこうと思います。ちょっと久しぶりなので感覚がなまっているかもしれませんが、お付き合いください。


さて、世間的にもお寺的にも、ただいまお彼岸真っ最中でして、明日が最終日となります。今年のお彼岸は4連休から始まりましたので、多くの方々がその4日間に集中しておりましたが、昨日今日でもお墓参りの方はお見えになっています。


まだお彼岸が終わったわけではありませんが、所感としては例年よりも多くの方々がお参りにいらしています。私自身もそうですが、みなさんも段々とコロナと共生することに慣れてきているのかなと思いました。もちろん油断はできませんが、対策は分かってきた感じはします。


また、春のお彼岸やお盆などの時には、コロナでなかなかお墓参りに来られなかった人が、このタイミングでお越しになったというのも考えられます。直近で言えばGo toキャンペーンで東京の対象になったりと、まだ終息したわけではないですが良いニュースが続いているのも、お彼岸のお参りが増えた要因なのかもしれません。なんにせよ、お寺にとっても門徒さんにとっても良いことなのかなと思います。

 

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お彼岸でのお話

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法善寺では、お彼岸の初日・中日・最終日の3日間、午前11時から勤行をしています。このような時期ですので、みなさんに大々的にお集まりいただくことは避けて、本堂を開放して誰でも出入りできる環境の中でお勤めをしています。勤行後には少しお話をさせて頂くのですが、今回のお彼岸でお話している内容を少しブログにも書いてみようと思います。明日まだ勤行が残っていますので、いらっしゃる方にはネタバレになるかもしれませんが、ご勘弁くださいませ。


お彼岸は、春分の日および秋分の日を中日とした前後3日間を足して、計7日間行われます。春分の日および秋分の日は、太陽が真東から昇り真西に沈んでいきます(厳密に言えば少し違うらしいですが)。昔の人は真西に沈んでいく太陽を見ながら、その先にあると言われる西方極楽浄土(阿弥陀仏の浄土)を思い浮かべたと言われています。


また春分の日および秋分の日は、日中と夜の時間が同じです(厳密に言えば少し違うらしいですが)。日夜どちらにも偏らない、ということから仏教の説く『中道(どちらにも偏らない考え)』にもなぞらっているそうです。


この中道というのは『縁起』にもつながる思想で、なかなか仏教らしくて面白いものです。


私たちは普段、自分の中の尺度で物事を見てしまっています。高い・低い、暑い・寒い、太い・細い、これらには明確な基準はなく、例えば180cmの人を『背の高い人』と言う人もいれば、190cmの人でも『背の低い人』と言う人もいます。また、気温が40℃の中で暮らしている人にとっては30℃は涼しい気温ですし、-20℃の中で暮らしている人にとっては0℃は暖かい気温です。


これは『幸せ』にも転用できる考え方です。『幸せになるためには何が必要ですか』と聞かれたら、多くの人は『まずはお金がないと』と答えるのではないでしょうか。もちろんお金は大切ですが、果たしてそれで幸せになれるのでしょうか。


お金をかせぐために無理をすれば体を壊してしまうかもしれないし、お金を得るために人をだましたとすれば周りから人はいなくなってしまいます。運よくお金を得られたとしても、どこまで行っても満足することはないかもしれません。


そう考えると、自分の中で『何が幸せなのか』もっと言えば『何を幸せとするか』を定義するのがとても大切です。世間一般の人が思う幸せを追い求めるのではなく、自分自身が幸せだと思うものを見極めることで、本当の幸福が手に入るのではないでしょうか。


ちなみに私は小遣い制です。周りからは『窮屈じゃない?』と言われることもありますし、最初は自分もそう感じていましたが、慣れるとなんてことはありません。そのお小遣いの範囲でどうやりくりしてやろうか、ということに楽しみすら見出しています。


仏教では『少欲知足』という言葉があります。『少なきを欲し足るを知る』という意味です。本当に自分が求めているものを理解することが、幸せになるための最初の一歩だと思います。


お彼岸をご縁として、このブログをご縁として、ご自分の幸せを改めて見つめ直していただけると幸いです。若輩者が偉そうに、失礼いたしました。

 

 

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