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審判は常に悪者

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。

昨日の夕方、久しぶりにバスケの試合をしてきました。見る方ではなく、自分が出場する方です。

試合は惜しくも負けてしまいました。色々と課題はありましたが、チームとしてもっと機能しないといけないな、と思いました。

今日の本題はここから。

このような草バスケですと、他チームの試合のオフィシャル(審判やタイムキーパーなど)をやらなければいけません。他チームを見ていると、大体じゃんけんで負けた人が審判をやっていますが、私は立候補して審判をやります。別に偉いとかではなく、審判をやる代わりに審判着を他のメンバーに持って帰ってもらえるからです笑

ということで、昨日も審判をやりました。白熱した接戦で、両チームとも体だけでなく頭にも血が上っていました。こういうとき、文句を言われるのは必ず審判です笑。いつも多少言われるので慣れてはいますが、特に昨日は強く言われて若干落ち込みました。

私は、審判をやるときにいつも思い出す話があります。

数年前、仕事で韓国のプロバスケチームに帯同していた時がありました。そのチームと日本のプロチームとの練習試合を見ていた時、審判の笛が日本のチームに有利に吹かれているように感じました。試合後、韓国選手と話をして『今日の審判は悪かったね』と言うと、その人は『審判はいつでも悪いよ』と冗談っぽく言っていました。その言葉に最初は驚きましたが、言葉通りの意味ではありません。それは審判の悪口ではなく、『審判は思い通りにならない』『平等だから自分たちを贔屓にしてくれない』という意味で言っていました。つまり、自分たちにとって審判というのは常に悪く"感じる"という、俯瞰した気持ちから出た言葉でした。

私はこの言葉にとても納得させられました。

人間というのは、どうしても自分にとって好都合なものを良しとし、その逆を悪と捉えてしまいます。だけど自分にとって都合の悪い環境に身を置くことで、人間として成長することが出来ます。甘い環境だと、そこに浸ってしまい、なかなか抜け出すことはできません。今の自分にとって本当に良いものは何なのか、それを見つめ直すことが大事かなと思います。

なんにせよ、私の審判スキルを上げることにも向き合わなければいけませんが。笑

南無阿弥陀仏

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