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ちょい見せ法話

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


本日は、法事の際に私がよくさせていただくお話をブログにちょい見せしたいと思います。



年回忌の法事では、『仏説阿弥陀経』と言うお経をいただきます。浄土真宗では『浄土三部経』と呼ばれる三つのお経を頂いていて、仏説阿弥陀経はその一つです。ちなみに他の二つは『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』ですが、どちらもとても長いためか普段の法事では読みません。


浄土真宗では三つだけですが、お経の数は全部で8万4千あると言われています。なぜそんなに沢山あるかと言うと、お釈迦様がお話しする相手によって話し方を変えていたからだと言われています。これを対機説法といいます。


これだけ沢山のお経がありますから様々なことが説かれているわけですが、仏教の根幹となる教えはブレずに存在しています。それが『四法印(しほういん)』で、『諸行無常』『諸法無我』『涅槃寂静』『一切皆苦』の四つを指します。


その中の一つ『諸法無我』とは、何事にも絶対的な自我は存在しない、という意味です。なぜかと言えば、それは縁起の道理によって作られているからです。縁起とは平たく言うと「外から受ける影響」のことで、これによって私達の人格というのは形成されていると考えます。


例を出します。みなさんもこういった経験はありませんか?


小学生の頃、クラスに仲良かった友達がいたけれど、進級の時のクラス替えで別々になってしまった。少し距離ができて久しぶりに話をしたら、自分の知ってた友達とは性格が変わってしまっていた。何だか嫌になってしまい、その友達と仲良くなくなってしまった。


諸法無我を使って読み解くと、これには2つの理由があると思います。一つは友達が別のクラスで自分とは関係のないご縁を頂いて、それによって新たな人格が形成された。そしてもう一つは、自分が新しいクラスで、その友達とは関係のないご縁を頂いて、新たな人格が形成された。このように人間とは、出逢うご縁によって性格が簡単に変わっていきます。


ただ一つ気を付けていただきたいのは、ご縁によって人格の全てが形成されるわけではありません。受けたご縁をどう受け取るのかは、その人その人によるからです。家庭環境が悪い人が全員グレる訳じゃないですし、その逆もしかりです。


そもそもご縁には、良いも悪いもありません。良いご縁にするのも、悪いご縁にするのも、自分次第です。頂いたご縁に感謝し、良縁として捉えられるような人は、幸せな人なんだと思います。ですのでこのお話を聞かれたことを皆さんも良縁として、今日からの人生をまた歩いていっていただければと思います。



南無阿弥陀仏

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