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父が亡くなって3ヶ月

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は鏡開きでした。法善寺では(というよりもお寺なら大体)お正月から本堂に鏡餅を飾ったり、打ち敷を敷いたりしていますが、それを片付けるのが今日でした。鏡開きの日は地域によって異なるそうで、一説によれば関東は11日だそうですが、確か父は15日に鏡開きをしていましたので、それに倣って本日鏡開きをしました。


お荘厳は飾り付けをする方が大変ですが、片付けを一人でやるのもまあまあ大変です。中尊や祖師前など、6か所の打ち敷を解いて畳むのですが、その際には卓の上に乗っている仏具を一度下ろさないといけません。当然っちゃ当然の作業何ですが、仏具は結構重いものばかりなので地味に大変です。特に水とお花が入った花瓶はとても重くて、腰が抜けないように正しい姿勢のスクワットで上げ下げしなければいけません。


それでも、なんやかんやで小一時間で作業は終わりました。終わってみれば『こんなものか』という感じでしたが、とりあえず腰が抜けなくてよかったです。



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父が亡くなって3ヶ月

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そんな今日ですが、15日ですので父が亡くなって3ヶ月が経ったという事です。あれがたったの3か月前かと思うとビックリです。もっともっと前のように感じます。それだけこの3ヶ月、色々あったということでしょうか。


最近は自宅待機しているのですが、今日は冒頭の通り鏡開きでしたので少しお寺に行きました。すると父の月命日という事で総代さんがお参りに来てくださっており、年明けまだお会いできていなかったので、大変嬉しいのとありがたい気持ちになりました。総代さん以外にもお越しになる方がいて、本当にありがたい限りです。


父が亡くなったのが随分前に感じると書きましたが、厳密に言えばフェーズごとに時間の経ち方が違います。


亡くなってから葬儀までは10日ほどありましたが、ここは大変長く感じました。葬儀の準備、弔問に来てくださった方へのご挨拶、あまり普段はお会いできない方にもお会いすることができて、気が張っていたような気がします。


葬儀から満中陰(納骨)までは、逆に短く感じました。葬儀をしたことで落ち着きましたが、お寺の代表交代の手続きなどに追われていた覚えがあります。


そして納骨から年末までも短く感じました。気付けば大晦日になり、色々なことがあった1年だったなーと振り返っていました。


ただ年が明けて本日までは、逆に長く感じています。コロナ騒動で家で過ごす時間が長くなったからかもしれません。単調な生活リズムから変化が出てくると1日が長く感じると思いますが、昨日まではそんな感じでした。ただ今日くらいはそれにも慣れたのか、あっという間にこんな時間になりました。人間の感覚と言うのは不思議と言うか適当と言うか。。


何にせよ、3ヶ月経ったという事実は変わりません。四分の一年が経ったという事です。暦で言う1季節です。まだまだ住職という肩書に慣れない自分がいますが(未だに冒頭のあいさつで『副住職』と書きかけてます)、まだたったの3ヶ月ですので仕方ありません。ポジションが人を作ると言いますが、段々と住職っぽくなっていければと思っています。


と言いながらも、まだまだお浄土から冷や冷やしながら見ているかもしれませんので、『時間が解決してくれる』と甘えずに、自ら住職に近付いていきます。頑張ります。


それでは皆様、引き続きコロナにお気を付けてお過ごしくださいませ。



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