無駄こそ人生なのだ
- 6月4日
- 読了時間: 3分
5/29 - 6/4の週ブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。

いよいよ6月に入りましたね。早いというか何というか、今月で今年も折り返しという事実を受け止めきれずにいます。昨年に比べてかなり早く感じるのは、気のせいでしょうか。早くも蚊取り線香の季節が到来しています。
新しい月に入りましたので、お寺の掲示板を更新しています。今月は正岡子規の句から、『六月を 奇麗な風の 吹くことよ』と書いてみました。梅雨のジメジメした時期に、ふと流れてくる爽やかな風を感じながら読まれた一句だそうです。

台風一過の今日は、まさにそんな爽やかな風が流れている気がします。下旬にもなれば灼熱の日々でしょうから、今のうちにこの爽やかな風を楽しんでいきましょう。
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無駄こそ人生なのだ
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私が通っている日本教育書道芸術院では、毎月教本が発刊されるのですが、その1ページ目に創設者である大溪洗耳(おおたにせんじ)先生のコラムが載っています。既に亡くなられているので過去のアーカイブなのですが、毎月買ったらすぐに目を通すほど楽しみに読んでいます。
書道とはこうだ!という内容ではなく、どちらかというと人間学的な内容が書いてあります。こんな人間はつまらない、人間とは所詮こんなもんだ、こういう人間こそ人間らしいのだ、みたいなことが書いてあります。
はっきり言って前時代的な表現が並んでいますが(今から40年以上前の文章だから仕方ない)、だからこそ楽しんで読んでいるのかもしれません。直接お会いしたことはありませんが、人間臭かった人なのだろうな、とその文章からも匂い立ってきます。
そんな今月のコラムでは、博打を勧めていました(はい、前時代的です)。賭けたときのヒリヒリ感が良いとか、失うという体験が出来る貴重な機会だ、ということが書かれていました。
私は出来の悪い生徒ですので、大溪先生がそう仰っているからといって、よし博打をしよう!という気にはならないのですが、一般的に無駄なことだと言われていることに熱中するのこそ人生なのかなぁなんて思ったりはしました。時間にしろお金にしろ労力にしろ、無駄遣いって誰にでもありますよね。
人間に必要なものは?と聞かれてパッと思い浮かぶのは、衣食住でしょうか。それ以外のものを全て無駄なことというのは無粋かもしれませんが、それ以外にこそその人の生きざまが刻まれているのもまた事実でしょう。ある意味、アートや娯楽なんてのもその代表例です。
ただこのご時世、そんな余白が狭くなってきた気がします。生活に苦しい方がいて、それなのにネットには贅沢三昧している人の生活が溢れている。気持ちに余裕がなくなるから叩かなくていいことを叩き、怒る必要にないことに怒っているように見えます。
心をどこに置くかを考えるときに、無駄なことに時間を費やすというのは一つの正解なのかもしれません。何事も、突き詰めて考えてしまうと心が詰まってしまいます。シリアスにならなくてよいことにシリアスになったり、これ以上考えようがないことを考えてしまうので、そんなときは無駄なことに時間を費やすのは良いことな気がしてきました。
かくいう自分も、ここ数週間はあまり無駄なことに時間を費やせずにいる気がします。上手くバランスを取りながら生きていきたい今日この頃です。
ブログをお読みいただきありがとうございます。そうは言っても、シリアスにならざるを得ないことばかり。
南無阿弥陀仏
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