火葬史を学び、人の無常を知る
9/4 - 9/10の週ブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
先日のことですが、福岡までお稽古をつけて頂きに行ってまいりました。久々の福岡でしたが、沢山実のあるお話を頂けまして、心持ち新たに法務に臨んでいく気持ちになりました。
お稽古が終わり福岡市内まで戻った後、飛行機まで時間がまだあったので中洲辺りを散策しました。一人で屋台のごはんとお酒を楽しみ、写真をパラパラと撮っていると、段々と良い時間になってきたので空港に向かい帰路につきました。

今週からは声明学園も始まります。私が先生として参加する比率も増えてきましたので、私が学んできたことをまた生徒の皆さんにも共有出来たら幸いです。入学後希望の方は、年度途中からでも大丈夫ですので、お気兼ねなくご連絡くださいませ。
↓↓令和8年 法善寺バスツアーの案内はこちら↓↓
↓↓令和8年度 東京大谷声明学園 入学案内はこちら↓↓
============================================
火葬史を学び、人の無常を知る
============================================
さて、三週目に突入した私の読了報告ですが、今週は『火葬秘史』という本を読みました。
タイトルから分かる通り、火葬の知られざる歴史をつづった本でして、とても勉強になりました。亡くなったら埋葬する、という文化はどうやって始まったのか、近代に入ってどう変わったのか、そしてこれからどうなっていくのか、と言ったことが書かれていました。
現代の我々からすると、『亡くなったら火葬する』というのが常識となっています。事実、今日の日本では99%以上の方が火葬されているので、それ以外の埋葬方法に出会うことはごく稀です。
ただ、火葬という文化も決して古代から根付いていたわけではありません。今からでは考えられませんが、明治に入ってからは火葬を禁じる『火葬ノ儀自今禁止』という法律が制定された時期がありますし、大正13年(1923)時点での火葬率は全国で30%を超える程度だったみたいです。
ただそこから、関東大震災や戦災により多くの死者を出す出来事が続きました。多くのご遺体を短時間で埋葬するために、火葬という文化が根付いていったそうです。火葬は衛生的で省スペースというのが大きな理由で、意外にもそこには宗教的概念は大きく寄与していません(ゼロではない)。
またこの本では、葬送のやり方や、お墓の在り方についても記述されていました。昨今は、葬儀の縮小化や墓離れなんて言葉を耳にするようになり、僧侶だけではなく一般の方々にも多くの反響があります。
これらはお寺にいると受け入れがたい事実であり、抗いたくなる気持ちもありますが、世間の流れとしてどうしようもない部分もあります。逆に、そういった変化を受け入れて対応していくのも、無常を説く僧侶の務めなのかもしれない、と思うようになりました。
ただ、この本によって時代の流れを俯瞰して理解できたことで、今後また葬儀が拡大していったり、お墓への帰属意識が高まる時代が来ることもあり得ないとは言えません。良くも悪くも、人は100年とかそれくらいの単位では進化しません。変わるのは時代で、その上で人はただ生きているということが、歴史を見ると良く分かります。
日本の仏教は葬式仏教と揶揄されることも多いですが、当然ですが仏教が説いているのは死だけではありません。ただ、仏教をちゃんと伝えたいという気持ちが僧侶側にあっても、世間が寺に求めているものはそこではなかったりして、需要と供給のズレは私自身も日々感じているところです。寺が仏教をすればするほど、世間的にはウケなくなる、という皮肉を感じます。
この本を読んでいると、とことん不安を煽られましたが、現実を見るのは大切なことです。読む前よりも知見が深まり、視野が広がったことを実感できているので、読んでいて気持ち良くはありませんでしたが、まぁ良かったです。
柔軟な頭と、広い視野と、熱い気持ちを持って、これからは坊さんをしていきたいですね。
ブログをお読みいただきありがとうございます。次週は『零の発見』を読んでみます。三週坊主は突破できそうです。
南無阿弥陀仏
-------------------------------------------------------------
























コメント