いのちの流動性を考える
- 1 日前
- 読了時間: 3分
8/28 - 9/3の週ブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
月をまたぐたびに『早いもので、』と枕につけている気がしますが、早いもので9月になってしまいました。秋のお彼岸があり、来月3日にはバスツアーもやってきます。毎年のことですが、怒涛のひと月になりそうです。(個人的には誕生日もやってきます)
ただそれでも、昨年や一昨年に比べると暑さは厳しくなく、比較的過ごしやすい日が続いています。外を歩くのもそこまで苦ではなく、写真を撮るのも快適です。

最近は生意気にも構図を意識したり、色を意識したりしています。まだまだ素人の枠は出ないでしょうが、むやみやたらに撮るのではなく、撮るべくして撮る、というところまで持っていきたいところです。そこに至るまでには、量も当然必要なのですが。
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いのちの流動性を考える
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さて、先週から勝手に始まりました私の読了報告ですが、今週は『親鸞のダイナミズム』という本を読みました。
先週の記事を読んでいただいた方は気が付いたかもしれませんが、『親鸞のコスモロジー』と同じ著者、大峯顯さんが書かれた本になります。どちらも同時期に、同じ方から勧められた本だったのですがここまでサボっておりましたので、たたたっと読ませていただきました。
同じ著者の、概ね同じようなテーマの本を連続で読むことには功罪がありそうだなと思っておりましたが、その通りどちらもちゃんと体験できた気がします。
功としては、書き手のリズムがこちらの頭に残っていたのですんなりと読み進められたところでしょうか。先週よりも短い時間で読破出来ましたし、『こういうことが言いたいんでしょ?』みたいなポイントは抑えられていました。
反対に罪としては、二冊読んだはずなのに、ながーい一冊を読んだ気になってしまい、どちらの本でどんな言及をしていたかが分からなくなってしまったことです。12ラウンドのボクシングの試合を、再戦含めて24ラウンドぶっ続けで見た感覚で、あのパンチを当てたのはどっちの試合だったっけ?みたいなことになってしまいました。
そんなことがありましたが、本の内容にも少し触れます。
まず、タイトルにある『ダイナミズム』という言葉ですが、力強さや迫力といった意味もありますが、今回の場合は流動性という意味が一番しっくりくる気がします。親鸞聖人が考える、いのちの流動性について書かれていました。
我々が考えるいのちとは何なのか。どこから来て、どこに向かっていくのか。身体といのちはどういう関係があるのか、と言ったことがダイナミズムとして書かれていました。死んだら終わり、というニヒリズムの反対にあるような哲学ですが、そこから逃げずに考え抜かれた人が親鸞聖人だったのでしょう。
私含め現代の多くの人は、肉体の終わり=いのちの終わり、という価値観に染まっています。科学が進歩し、不思議が不思議ではなくなっていく世界において、逆にいのちの本当の意味や存在について、考えを巡らせなくなってしまったのかもしれません。
この本を読むことで、この身体から離れることに対する寂しさ、怖さみたいなものから少し離れられた自分がいました。肉体をいのちと思ってしまうと、こんな感覚にはなれません。
仏教や浄土真宗の知識が少し必要な本になりますが、私でも読めたので基本的には誰でも読める本なんじゃないでしょうか。ご興味ある方は是非。
ブログをお読みいただきありがとうございます。次週は『火葬秘史』を読んでみようと思います。読書メモもつけていきます。
南無阿弥陀仏
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