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セミは夏を知らない

こんにちは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


今日はとても暖かいですね。二月なのに、と良く言いますが、『●月なのに』と毎月言っているような気もします。


さて本日は、とある本で出会った、とある言葉について紹介させていただきます。


蟪姑春秋を識らず伊虫あに朱陽の節を知らんや

(けいこしゅんじゅうをしらず このむしあにしゅようのせつをしらんや)


これは浄土教の祖と言われ、浄土真宗の七高僧の1人である曇鸞大師の著作である『往生論註』に出て来る言葉だそうです。昔の言葉で良く分かりませんので、順番に現代語訳してみます。


『蟪姑』とは『セミ』、『春秋を識らず』とは『春と秋を知らない』、『伊虫』は『この虫』つまりはセミのこと、『あに』とは『少しも』、『朱陽の節』とは『夏』、『知らんや』は『知らない』、ということです。


つまりは、、、


セミは春や秋を知らない、つまりこの虫は夏をも本当は知らない。


こうなります。


みなさんご存知の通り、セミは長い時間を地面の中で過ごし、夏に地面に出てきて1週間だけ地上の生活をして一生を終えます。地上では夏の期間にしか生活しないため、春や秋を知らない、ということです。しかしそれだけでなく、春や秋を知らないということは、夏と比較することが出来ないため、夏自身も本当は知らないんだということを意味しています。


これは『中道』に繋がる思想です。『夏が暑い』というのは、その夏に比べて秋や春が涼しいから分かることです。30℃の日ばかりが1年続けば、暑いという感覚も今とは大きく異なるはずです。


私事ですが、アメリカでの大学時代、住んでいたネブラスカの冬はとても寒いものでした。-20℃になることもあり、風が吹けば体感は-40℃くらいになります。鼻で呼吸をすれば鼻毛が凍り、授業間での建物の移動では『生きてたどり着けるのか』と思えるほどの気候でした。


そしてそんな冬の中ですと、0℃の日が暖かく感じます。今日は良い天気だな、薄着しようかな、と思えるほどです。今の東京で考えれば、0℃なんて日があれば極寒に感じるはずですが、それより寒い日が続いていたネブラスカでは、0℃でも暖かいということです。


また、夏にアリゾナに行った時、最高気温40℃超えの日々が続いていました。そしてそんな中、夕立などで気温が37℃くらいに下がると、それが涼しく感じます。


今日だって、2月だから暖かく感じますが、8月だったら涼しく感じるはずです。


このように、人は何かを感じるとき、必ず何かと比較をしています。『美味しい』と『不味い』、『広い』と『狭い』、『長い』と『短い』、こんな具合です。『絶対的に美味しい』や、『絶対的に狭い』ということは有り得ないと仏教では考えます。そしてその両極端から離れ、物事を正しく見ようという思想が『中道』というものです。


来月にはお彼岸があります。春分の日もしくは秋分の日をお中日とした1週間がお彼岸と言われる期間ですが、お中日には太陽は真東から昇り真西に沈んでいき、昼と夜の長さがほぼ一緒となります。これが仏教の中道を連想させるもので、ここからお彼岸にはお墓参りをして仏縁を頂く、という流れになったそうです。(ちなみにお彼岸は日本独特の文化です)


図らずも、来月のお彼岸の御案内というところに着地したところで、本日のブログを締めさせていただきます。



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